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Posted by 京つう運営事務局  at 

2006年10月28日

父の面接合格

シルバー人材の方の面接を終え、十一月から週に一回来て下さる事になりました
実際にお逢いして感じたのは、ヘルパーさんより自由に色々お願いできるという事です。ヘルパーさんはケアマネさんの作られたプランに従って仕事をされますし、シルバーの方はお願いした事を出来る範囲でしてくださる感じです。
父は、グループホームの母のところにも、姉のところにも、実家にも、その時行きたいところに連れて行っていただける事になりました。体調が悪くて外出したくないときは、部屋で話し相手もしていただけるし、喫茶店に行きたければ、連れて行ってくださるそうです。
父は手押し車で外出、例えば先にエレベーターに乗って開くボタンを押してくださるとか、タクシーに乗るとき荷物を持ってくださるとかで大丈夫だと思うのです。そういう、ちょっとした事で、家に引きこもらず外出できる人は他にも居ると思います。
時間給で一時間750円に交通費と5%の手数料だそうです。一ヶ月まとめて請求が来て、振り込みます。外出はバスは危険なのでタクシー移動のみ、タクシー代はもちろんこちら持ちです。ただし、シルバーの方は、買い物代行とか、掃除とかをしてくださる人材は多いのですが。こういう依頼を受けてくださる方は稀のようで、本当に感謝しています
父が色々話をしていたのですが、やはり、現状を「動物園のよう」と言いました。食事を与えられ、ケアは受けられるけど、何の自由も無いということなんでしょうね。これから、少しずつ自由になってほしいです。

事務局の方が私の名前の漢字を尋ねられたとき、父に「私の名前お父ちゃんがつけてくれたん?」と聞くと、「いや、お母ちゃんや。神戸女学院に居たとき、可愛くて頭のいい女の子が居て、うちと同じ名字やったので、お母ちゃんは女の子が生まれたら、絶対この名前にするて言うて、お前につけたんや」
私は、母に「男の子やと思うたから生んだのに。女の子やったら要らんかったのに」と言われて育ち、望まれない子だと信じて生きてきました。しかし、父母は、私を愛してくれていたのでした。
  


Posted by tao  at 00:23Comments(0)実家の父の話

2006年10月25日

外出への突破口

父は自由に外出できないのが、今の生活で一番の不満のようです。それは、父の歩行が不安定で、しばしばふらつきが起こり、転倒も起こるからなのですが、そういった状態で実家では心の趣くままに行きたい所に行っていましたので、父にすれば「なぜ???」なのでしょう。
言ってみれば、幾ら自分のためとはいえ、「幽閉されている」というか、「快適に飼われている」感がぬぐえないのかと思います。生きがいも持てず、食欲も落ちています。ディサービスに隔日で行っているときは完食なので、それでもっている様なものです。
なんとか、父に外出をさせてあげたい、という事で方法を探ってきましたが、シルバー人材の方をお願いできないかと、以前から思っていたことを当たってみました。お話はかなり具体的なものでした。
まず、当然ながらシルバーの方ですから、力の要る介助はされない事、介護の言葉で言うなら「身体介助」は出来ない「生活援助」ならできる、という言い方でした。
私はいろいろ経験してきたのでよく判りますけれど、つまり、お掃除とかゴミを捨てるとか、買い物を替りに行くとかはできるけれど、寝ている方を起こしてあげるとか、車椅子に乗せるとか、着替えをさせるとかはできないという事です。
車椅子に乗せるところまでして下されば、車椅子を押しての外出は出来ない訳ではない、という事ですので、同居でしたら、そうしてお願いすれば、本人の気分転換にはどんなに素敵な事でしょうね。そして、連れて帰るところまでしていただければ、またあとは家族で出来る、ところが私はそれが出来ないのに、外出させたいのですから。
一生懸命、父が着替えは一人で出来る事、デイサービスでは杖で歩行している事などを訴え、外出に必要な介助はエレベーターに先に乗って開けるのボタンを押しておいて下さるとか、タクシーに乗るとき荷物を持って下さるとか、していただければと話し、やっと、明日面接にきてくださるところまでこぎ着けました。
さて、どうなる事やら、期待と不安で今夜は眠れるでしょうか。
  


Posted by tao  at 23:51Comments(0)実家の父の話

2006年10月21日

妄想退治は気分転換で

認知症の症状で、物がなくなると人のせいにするといいますけれど、父も少し元気になったので、あれこれ言い出してきました。
テレビも見ないし、本も読まないし、音楽も聴かないし、囲碁も将棋もしないし、博打は一切しないし、考える事がないのでしょう。やたらと、昼間から寝てばかりなのもどうかと思い、ヘルパーさんに散歩に連れ出してもらうのですが、食事中に来られるので散歩に使えるのは正味15-20分位、距離で10-20m位で、確かに運動で疲労はするのですが、気分転換にはあまりなっていない気がします。
思い切って、ヘルパーさんにお願いして、車椅子で遠出?をして頂きました。歩けるのに乗るのは抵抗もあるけど、いつもと違った所に行けて大変喜んでくれたそうです。
ケアマネさんに報告がてら電話すると、やはり歩くという運動が必要と言われ難色を示されたのですが、ディに隔日行きずっと杖で歩行している事もあり、行きは重石を載せて車椅子を押して行き、帰りは疲れたら車椅子に乗るという折衷案を作りやってみることになりました。
介護で一番辛いのは、どうしたらいいか判らなくなって悩む事、でも突破口が開けると本当に嬉しいです。
  


Posted by tao  at 00:24Comments(0)実家の父の話

2006年10月19日

介護な一日

朝六時半に起床。本当はもっと早く起きるべきだとは判っていますが、起きれません。お参りを済ませて仕事を始めます、

九時前に母の行くディサービスから送迎出発の連絡があり、母の部屋のヘルパーさんにtel。しばらくして母が「行ってきます」を言いに来られ、同時に父のヘルパーさんが荷物を取りに来られます。
父は歩けるのでディの荷物を置いておくと必要なものまで出したりしてしまうので、ぎりぎりまでこちらにセットして置いているのです。あとは、ティッシュ一箱と目覚まし時計(腕時計は禁止されているそうで)寒い時用のベストとジャケットを入れてくださるようにお願いします。

お客さんがいらっしゃらない時は、母が車に乗るのを見送りに行きます。母ははしゃいで泣きまねをされ、見ると「あかんべー」をして笑われてご機嫌です。手を振りながら出発され、ヘルパーさんに昨日の臨時に入られたヘルパーさんが母にVネックのカーディガンのみで、ブラウスなしで送り出された話をしました。

戻って仕事をしていると、父の送り出しを済まされたヘルパーさんが戻ってこられ報告を聞きます。切れているものを聞いて帰ってくるまでに買い物をしたりしなくてはならないからです。両方の洗濯物を洗濯機に入れ、仕事をしていると、実家の母のお世話になっているグループホームから電話が掛かってきました。
肺炎球菌の予防接種をするために、過去に受けた事があるかどうかの問い合わせでした。実家に電話を掛け、母が掛かっていた開業医の電話番号を聞き、確認します。私が嫁いでから開業されたため全く面識はありませんけど、そんな事言ってられませんしね。幸い好意的にすく゛調べていただけたので、直ぐに連絡。このごろの私はあとでと思うと、まず忘れてしまうので。

仕事をしながら昼食の支度をし、気が付くと三時を回っているのがたいていです。本当は帰られるまでに買い物を済ませたり、洗濯物を畳んで部屋に持って行ったりしたいのですが、殆ど無理です。四時前には母のディから出発の連絡があり、ヘルパーさんが間に合うか気になります。
昨日は来られたのが、母が帰宅してから20分後でした。まだ来られないと聞いて仕事を中断、トイレで陰部洗浄をし、オムツを替えて新しいパジャマを着てもらいかけたところでした。ヘルパーさんが前のところが長引いたのでしょうから仕方ないです。今日は来られてやれやれ。

今度は父ですが、そのまえに今夜のおかずにと、魚すきの鍋を運びました。ディから近づいたとの電話があるとヘルパーさんが間に合うか気になりますが、ぎりぎり間に合われホッとして、おやつを出して、私はケアマネさんに幾つかお願いやら報告やらの℡。
父は元気になってきたのはいいのですが、物がなくなるとヘルパーさんが盗んだと考え、又他のヘルパーさんにも言ってしまうので、お詫びやら、あらかじめお断りして、真に受けないようにお願いし、そういう時は「ちょっと、探してみましょうね」「あって、良かったですね」と言ってくださるようにお願いしました。

又、父の最も行きたがっている教会に行かせてあげる方法として、シルバー人材の方をお願いできないかと考え、探してもらっている途中である事も報告しました。今はヘルパーさんが父の満腹時に来られ、食事の買い物も上手く行かず、もっと遅い訪問をお願いしながらなかなか見つからず、の状態ですので、そういう方が来てくださればとも考えているとお話しました。
結果は、シルバーの方は七十前後の方が多く、独居の方のお話し相手か、お掃除が主なお仕事らしく、どうも難しそうです。介護用語で言うと「身体介護」は無理「生活援助」なら出来るということで、父は介助と言っても、ドアを開けて待っていただくとか、エレベーターの「開く」ボタンを押してくださるとか言うレベルだとはお話したのですが、連絡待ちです。

母は先日ディに行ってから初めての昼食の完食です。又初めての便意によるトイレ希望があったそうです。ケアマネさんも大変喜んでくださり、すっきりしてやっと仕事に戻ります。仕事が終わると洗濯物を畳まないと食事をする場所がありません。半端でない量で、山というのが言葉通りの感じです。

仕事が終わってからしか、動けません。今日は乾燥予防のベビーオイルを訪看さんから言われて買い、荷物に入れてからディのノートを見ると入れて欲しいというものがあったので買い物にもう一度行かなくてはなりません。皮脂を取り過ぎないボディシャンプーです。

それから食事。残り物で簡単に済ませます。昨夜は親戚の独居の叔父と鍋をつつきました。以前は若干欝の傾向が感じられましたが、今は落ち着いているようです。歩行は困難になっているようで、ベットを勧めていますが、抵抗があるようです。鍋に雑炊を作って帰宅しました。

食事が終わってから、ディの連絡ノートに記入、ヘルパーさんとの連絡ノートにも以前はマメに記入していたのですが、今は気力がなくなっています。ここまでで、たいてい十一時を大きく回っています。洗濯物をそれぞれに運び、ディの荷物も作ります。帰る時には日付も替わっています。
どこかで金木犀の香りがします。今日もお風呂に入らずに寝るかなぁと考えながらも、その香りに心癒されています。一日の終わりです。
  


Posted by tao  at 00:32Comments(0)介護生活

2006年10月11日

コミュニケーション能力とTV

高齢者をみて、TVを観ている人と居ない人とで違うような気がします。
観ない人は、マンツーマンの会話ならできるので、看護婦さんやヘルパーさんには意思表示が出来ますし、いろいろな話もしたければ出来ますが、あくまでspeak toの範囲であって、talk withは出来ないという気がします。相手してもらう範囲でしか会話できないのです
先日法事があったのですが、父はテーブルの会話に加われないのです。わかりやすく大きい声でゆっくり話してもらう以外の声を聴き取る能力も衰えてしまっているのでしよう。又かすれるような声で話して、聴き取るのに大変骨が折れますが、自分ではそれ以上の声を出す必要性も感じていないのでしょう。
母は、歩行は出来ませんが、テレビをずっとつけています。内容をしつかり観ている訳ではないのですが、時に興味を持ち、時に退屈しています。お気に入りの番組もあります。ですから、ディサービスでは大勢の方とコミュニケーションを楽しんでいます。テレビで聴き取る訓練が出来ているのではないでしょうか
友人のお母さんでもTVを観られる方はしっかりされていますし、実家の母にしても、伯母にしても、TVを観なくなる事と、心を閉ざす事は、近しいところにあるような気がします。自分に合わせてもらわなくては駄目になっていかないためにも、テレビという「社会」とつながりを持ってもらうことは、大切なトレーニングなのかもしれません。
  


Posted by tao  at 00:23Comments(0)実家の父の話