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Posted by 京つう運営事務局  at 

2007年01月31日

みんな読んでる 京都新聞

いぼの手術の関係で父と過ごす時間が多くなったので、こんな事を聞きました。

「新聞を読みたい」
読んでるやン。

うちは、京都新聞と読売新聞をとっています。主人は京都新聞がいいので、読売のほうを父に渡そうとしたのですが、父が京都新聞でなくては嫌だと言うので、朝ヘルパーさんに言付けて、夕方返してもらっていました。ただ、よく忘れるのですよね。
それでは、読み返したいときにないし、切り抜きも出来ないし、と言うのです。父はテレビを見ないので、ノロフィルすのことも知りませんでした。これではいけない
確かにもったいないけど、それでは、父用に京都新聞をとりましょうか、という話になりました。

電話を掛けるとさっそくその日の夕方から入れてくださることになり、父に夕刊を持つていくと、翌朝から自分でマンションの一階まで下りて取りに行っているのです。
こころなしか、しっかりしてきたし、昼間することが無くて寝る時間に読むので、夜寝れているみたいで、新聞効果は凄いもんだと思いました。
慣れた新聞って大事なんですね。そして、新聞を読みたがっている父って、まだまだ大丈夫だって、皆言ってくれます。本当かも。  


Posted by tao  at 23:39Comments(0)実家の父の話

2007年01月30日

ちょっと凄すぎるかも

母は歩行は出来ないまでも、起床時間も増え元気といえます。唯一のネックはディに行かない日曜日。半病人になってしまいがちです

特に日曜日の夜に入ってくださるヘルパーさんが難しいのです。
今は六時半から七時までトイレと食事で入ってくださっているのですが、帰られた直後に私が訪問し、プリンを勧めるとガツガツと食べられるのですが、連絡ノートにはかなりの量の食事をされたと記入されており、母の食欲からすればありえないことなんです。

この間の日曜日、来られる前に行って「こういう風に」というモデル食卓を作ってみました
大体テーブルに並べ、母を椅子に座らせて食べさせて下さっているか疑問符なのですが、母の好きなものを少しずつ小皿や小鉢に盛り、お味噌汁は生みそずいをお碗まで用意し、あとはお湯を注いでもらうだけにしておきました。

夜遅くに行くつもりでいたのですが、実家の父のところに行ったり、実家の母のグループホームに行ったり、一人住まいの子供の居ない叔父のお誕生祝いに食事に連れ出したりして帰ると、弟が来ており、父の手術の話などをしていたら十一時を回り、洗濯物を畳んで等していたら、日付が替わって、母のところに行く時間がなくなってしまいました。

翌朝ディの送り出しのヘルパーさんが見たものは、テーブルが出したままで片付けられていないだけでなく、机の上も私が並べた食事が並んだままだったらしいのです。エアコンが直撃の場所に14時間ですから、痛みきって全て処分。連絡ノートには少しずつ色々食べられたとありますが、味噌汁も作らないままで、本当に起こして食事を勧められたとは信じにくいのです

一事が万事と言います。この方がトイレ誘導も、書いてあるとおりちゃんとしてくださっているかどうか、これだって怪しくなつてきました。
家族はヘルパーさんを選べません。「あの方は困る」と言っても「他に人がいない」と言われがちです。受け取られる金額も同じらしいから、「手抜き得」と思われているのかもしれません。  


Posted by tao  at 23:02Comments(0)母の話

2007年01月30日

眠れない夜

これから、どうしようとか、どうなるのやろかとか、介護生活には思い悩む事のネタはつきません。でも、12時間以上の労働が済むと、家事と介護が待っている私は、やっていることを切り上げて横になったら直ぐに眠る必要があります

そんな人は多いでしょうから、私の最近はまっているやり方をお教えします

猫の本を読みます。お気に入りは、モーリーあざみ野さんの「ナーゴ」シリーズと、「猫本」というコミック本です。
猫が大好きと言うわけではなくて、犬も好きなのですが、可愛い猫の他愛も無い話を観て、癒されて眠ります。小説と違って、引っ張られないので、一ページ観るだけでも結構気分転換になります。

  


Posted by tao  at 00:15Comments(0)介護生活

2007年01月28日

話せばわかる

母の食事用テーブルを、前夜にセットしておく事を始めて一週間になりました。母は確実に食事量が増えてとても満足していました。

でも、今日はビックリ。
ちゃんと食事を出さないヘルパーさんが、日曜日必ず買い物でお寿司盛り合わせを買われるのですが、殆ど母が手をつけないままに捨てられているので、買わない様にお願いしたのです。そしたら
「じゃあ、ご飯はいつもないけど、どうするんですが?」
と言われてビックリしました。

元々タッパーで冷蔵保存していたご飯を、炊き立てをラップに包んでジップロックに包んだほうがよいのではと、冷凍保存に変えたのは一昨年のこと
それを知らなかったなんて

連絡のノートには書いているし、ヘルパーさんもご飯を幾つ冷凍庫に入れたとか記入されているので、まさかその方が知らないとは・・・しかし、ビックリしたけど、これで判ったので、今後はケーキとかうどんばかりでなく、ちゃんとしたご飯とお味噌汁を出してくださる方向付けとなったのでは。すくなくとも、ご飯はね。

話せば、判る、そういうことですね。ヘルパーさんは次のケアまでの移動時間はたいてい30分なので、長く話し込むと迷惑をかけるし、私も仕事に支障をきたすけど、やはり、コミュニケーションは大切。書くより、会話の方が伝わりやすいのも確かみたいですね。  


Posted by tao  at 01:06Comments(0)介護生活

2007年01月24日

悪性腫瘍の可能性

久しぶりに父のイボを見ました。今夜父を連れて執刀医の診察を受けたのです。
去年見たときから格段に大きく盛り上がっていて、黒い焦げたようなものでした。
看護婦さんが騒がれるわけが判りました。普通のイボではありません

執刀医は、イボ周辺まで大きめに取り、組織検査を行うけれど、その結果次第で再手術を行う可能性を示唆されました。イボが悪性のものであっても、しっかり取りさえすれば転移の可能性は無いに等しいという事でしたが、かなり怪しくなってきた気がします

うろたえている自分を感じます
。  


Posted by tao  at 23:19Comments(0)実家の父の話

2007年01月22日

作戦成功か

昨夜食事用折り畳みテーブルを出して開き、椅子とセットして張り紙をしておきましたが、さっき行って記録ノートを見たら、朝の方も夕の方の時も、様々なものを食べてもらっているようです。
コロンブスの卵ではありませんが、思いついたらなんでもないことなのですが、思いつくのはなかなか難しいことですね。まさか、ヘルパーさんがそんなことしていると思わなかったですからね。

今日は、母の下着を買ってきました。上のほうはガーゼで作ったもの、下のほうは、メディマのアンゴラと絹の混紡とか、ウールだけれど肌に触れる部分は綿とかを試してみます。

父も防寒と実用一点張りのものから、お洒落着を取り入れだしました。寺町のお店が買いやすいのです。特にハーフコートが、父はMでいいのですけれど、あえてLLにしたのは、二つ折れの父が腰が出ないように、着ていて窮屈でないようにということを考えました。
お正月は父は弟とホテルで過ごしたのですが、帰ってきたところに会うと、私が買った中で、洒落たウールのシャツとカシミアのカーデガンという、もっとも気の利いた組み合わせをしていたので、もうすこし洒落たものをと買い物です。
寺町から大きい袋ふたつ下げて、財布は軽く荷物は重く、でも心は軽く、喜んで着ている姿が目に浮かんでいます。  


Posted by tao  at 00:08Comments(0)介護生活

2007年01月21日

イケメンの外科医

父のイボとりという、極めて地味な事で、診察室のドアを開けたら、ビックリしてしまいました。花のような男性が白衣を着て座っていて
「ここは、形成外科ですが、いいですか?」
と訊ねられました。
「はい、先生に診ていただくようにと、皮膚科の先生がおっしゃつていました」
と返事はしたのですが、つい、まじまじと見てしまいました。

女性ですが、有森也美に一番似ているように思えます。
色が白くて丸顔で、目がお星様がキラキラみたいな大きくて黒い目なのです。
とにかく、あたりがソフト。外見も、応対も。
あまーい感じです。
こんな人がいらっしゃるのだと驚きました。

ただ、先生は人気があるのか手術が三月まで詰まっていて、違う先生に執刀していただく事になり、手術前に再度来院しなくてはならないことになりました。
それも面倒だし、イケメン先生とも二度とお逢いする事も無いでしょうから残念です。
こんどの先生に、すこーし期待するのは、やっぱ、間違っているでしょうね・・・

看護婦さんが、私が椎間板ヘルニアで整形に通っていたときの婦長さんであったのも、懐かしい再会でした。「その後、どうですか」と聞いてくださり、「こんな状態ですから、とても通院できません」とお話していました。  


Posted by tao  at 02:39Comments(0)実家の父の話

2007年01月21日

母は母

実家の母はグループホームにいます。

脳梗塞をわずらってから、少しずつアルツハイマーが進み、しっかり者と自他共に認める母は随分辛かったと思います。努力家でしたから、幾ら努力してもどうにもならないことの前にはいらだちも相当あったようです。
その頃、私は自分達の暮らしを楽しんで、介護をしなくてはならないという心構えは全くありませんでした。「えっ、なんで???」と言う感じでした。まず猜疑心が強くなったので「触らぬ神に祟りなし」と逃げ腰でした。ただただ、母を楽しませることを考えて、和ませるようにとだけ、心がけていました。

本当はもっともっと構って上げればよかったのでした。都をどりに連れて行こうと切符を買いにいったら、それだけの事をとても喜び「又頼むわ」と言ったのに、忙しくて、たったそれだけの事、近所を一緒に歩いてお茶をするということが、出来ないうちに、母の方は進行して行きました。
被害妄想でよく掛かってきた電話が、「苦しいから来て」という電話に替わってきました。きっかけは、父の入院・手術でした。弟は仕事は外回り、終わるとスポーツクラブという生活で、母は一人ぼっちになってしまったのです。

毎晩父の病室に行き、帰りに実家に寄っていたのですが、父の手術が随分先だとわかってから、やはり、食事を待つ主人のことを思い、母のところには毎晩行かなくなったのですが、ある夜行くと、あの気丈だった母が泣き出して「やっぱりね、寂しいのよ」と行った時、辛かったです。私にも、生活があるし、母の気持ちも判るし。
そして、来るべき時が来ました。父の手術の前夜母のところに寄ると、母は事態が全くわからなくなっていました。幸いずっとではなく、なんとかしっかりしている時もあったのですが、だんだん無くなっていき、姉のところに洗濯機の使い方を聞いてきたりするようになり、自分の家が、自分の生まれた愛媛の実家と思うようになってきました。

夏の夕、父と出かけた母が行方不明になり、激しい夕立の中母はどこでどうしているだろうと胸が張り裂けそうでした。電話がかかり母を救急車に乗せたりも繰り返しました。日赤に入ったとき、母は「蛸壺型心筋症」というものだと判り、心療内科の診察も受けだしたのですが、その後近くの病院に替わっていただくようになった薬が強すぎたのか、母はぼんやりするようになりました。
母が食事をとっていないとデイサービスからケアマネさんに電話してくださり、ケアマネさんがお医者様に連絡を取ってくださって、母は入院しました。環境はいい病院でしたが、母は膀胱炎も併発して歩行にふらつきがあるのにトイレに行こうとするため、車椅子に拘束されている事から、病院のケアマネさんのような方と連絡を取り、母がグループホームに入ったようなことです。

先日母の所に行くと、寒がっていたので私のコートを掛けてあげると
「重いのでは」
といいながら着てみたら
「軽くて暖かい」
と言うので、
「鏡見たら。可愛いわ。よう似合っている」
と言うと早速観に行って、かなり気に入ったようでした。
「お母ちゃん、着たらいいわ」
と言うと、少し考えていたのですが
「あんたが風邪ひくし、来て帰らんと」
「ほな、今度同じの買うて、お母ちゃんに持ってくるわな」
と言うと
あんまり、要らんお金使うもんやないで」
と叱られてしまいました。

認知症とはいえ、しっかりしていると笑えてきました。母はやつぱり、母です。
それに欲しいのに私が帰りに寒いと辛抱するなんて親ですね。

私が親とは有り難いものだと知ったのは、親が弱ってしまってからでした。もっと前にそう感じることが出来ていたらとか、もっと早く介護について自覚が出来ていたら、と、どうしても自分を責めてしまいます。でも、本当にそうしていたらこうはならなかったはずです。  


Posted by tao  at 02:26Comments(0)実家の母の話

2007年01月21日

あの手この手

母は支え無しでは座ることが出来ません。そういう筋力は、一時寝たきりにされた時に退化してしまいました。やっと、サイドに手すりがあるとかいう状態で、手すりにサイドを、背中は背もたれにもたれて支え、なんとか座れます。
その椅子で、以前ブログにも書いた食事用の机を使うようになってから、母は食事が格段にしやすくなったようです。何しろ、母に手を合わされたくらい、喜んでもらったのですから。

机は、部屋が狭いので折りたたみのものを探したのですが、高さは調節がききますから、母にちょうどいい高さに設定できます。それと、体が入る部分がすこしくりぬいてあって、テーブルに近づきやすくしてあります。でも、この机、そう毎日使われていないのではと、最近気がつきました

あるヘルパーさんが週に三回朝入られるのですが、そのときは食事はうどんだけなのです。これは二つの問題があります。つまり、食事内容から来る栄養の問題と、彼女は冷蔵庫からうどんだけ出して使うので、他の食品を全く見ない、だから、古いものもそのままにして、買い物した新しいものを入れるようなのです。
私が母の好きなかに玉と車えびの天ぷらを母のために詰めながら、空しくなりました。次の朝は、例のヘルパーさん。食べさせてくれないのは想定内です。日が込むと、捨てるしかありません。そう判っていても、持って行って「母の好物です。食べさせてあげてください」と書くのは・・・

結果は、うどんに海老の天ぷらを入れたようです。そこで気がつきました。その方が母の所に入りだされた頃、私が偶然母の所にいき、母をベットに腰掛けさせて、口に刻みうどんを入れて食べさせていたのです。
もちろん、抗議しました。母は、自分で食べられると。その人は「私には私なりの考えがある」と言われました。初めて入った時、母が自分が来る事に拒絶があったので、自分はこういうサービスをして気に入ってもらおうと思っているのだと言われました。
その後も、他のヘルパーさんに母が椅子に座って食事をしているところを写真を撮っていただいて、壁に貼ったりしていたので、もう、ちゃんと、椅子に座って食事をさせてくださっていると思い込んでいたのですが、見たわけではないのです

ベットに今も座らせ、物置になっているベット上のテーブルに乗せるのでは、ご飯・味噌汁・おかず種々というわけにはいきません。
一時は、母に食事も取らせず、プリンとかケーキを書いてある日もあって、私が直接、母はディサービスでは好き嫌いが酷いので殆ど食事をされない日もあるし、帰宅後は疲れて食事は摂られないので、朝食が唯一の食事と言うこともありうるし、ディでは一番風呂に入られるのに、空腹ではよくないとか言いました。
そのときの返事は、母が寝起きで何も食べないと言うからと言うことだったので、朝は入室されて直ぐに、窓を開けて空気の入れ替えをし、声がけをしながら連絡ノートの確認をし、ご飯やおかずを温めながら、味噌汁を作るとか、うどんを温めるとかすると、その香りで結構食欲がでるものですとお返事したのですけれど。
ヘルパーさんが来ていただけないときに、私自身がしていますから、このやり方はうまくいくと自信を持っているのですけど、どうも、していただけていないような。

試しに、昨夜食事用のテーブルと椅子を出してセットしておきました。もし、今まで普通に使っていたら、ちゃんと折りたたんで片付けているはずです。結果は黒。テーブルは出したままだったそうです。明日の朝も彼女なので、さっきもテーブルを出してきました。「ここで食事お願いします」と書いた紙を貼り付けておきました。
明日の夜のヘルパーさんも、連絡ノートに一杯食事をされたと書いてあった直後に私が行き、知らずに食べ物を勧めたところ、ガツガツ食べられたという疑惑の人です。テーブルを出しておくのはいいことではないかと思います。

昨日の担当者会議でセンター長さんは、ヘルパーさんの記録を見て、この時間では無理とか判断されているようで、もっともな事なのですが、ヘルパーさんが本当のことを書かれるとは限らないと言うと喧嘩になるので止めました。
全身清拭をしたと書いてあるのにタオルが洗濯物に無かったとか、お湯の栓に、私が昨夜洗って干した布巾が張り付いたままだったとか

父の方でも、父は一人でヘルパーさんが来られるまでに着替えを済ませ、簡単に清拭まですませ、もちろん歯磨きも朝食も済ませて洗物まで済ませているのですが、ある方の書かれたサービス内容を見ると「口腔ケア10分」「更衣介助10分」「食事介助20分」とか書いてあります。それと掃除で身体60分だそうです。
もちろん、センター長に文句を言ったのですが、ケアマネさんも調べてみますと言ったまま。まあ、こんなこと言うから、昨日連係プレーでバッシングを受けたのだと思います
時間にはみ出してケアが行われていると、「まあ、気の毒に、はみ出しているのに30分の請求ですか」と私のせいのように二人で騒がれていましたけど、やっても居ない事を書いて、身体で請求されているのを放置されているのは、いいのかと言いたくもなります。

でも、昨日の担当者会議は新しく出された介護度を受けてのものなのに、ケアマネさんが母がどの程度の運動能力があるか把握されていないのには、ビックリしました。室内での歩行やベットに横になることについて、全介助にしますかとお尋ねしたら、センター長に任せられたのにはゲッソリしました。
それって、ケアマネさんが、さっきまでの話から決められるんじゃないんですか。

センター長は、父の事で私がはじめに余りクレームを電話したので、去年の秋から全く私とは接触されていないのです。電話を掛けても絶対でられない、どうしてもの連絡は他の人に依頼、新入社員さんが去年の秋の担当者会議は出てこられたくらいです。連絡事項はろくにヘルパーさんに届かないという状況です。
やっぱ、他の事業所???  


Posted by tao  at 01:44Comments(0)母の話

2007年01月20日

疲れました

今日は二時から母の担当者会議。二時というのは大変ですが、自分の都合ばかりをというわけにも行かず、承諾しましたが、胃のちぎれるような思いです。
店の食事を作って出さなくてはならないのと、商品の製作と、どちらも、私の替りが居ない、それをケアマネさんすら理解してくださらないから、こういうことになります。

内容は、支援事務所の方がクレームをつけられたにすぎた感じです。
曰く、ディサービスのキャッチは30分では足りないとヘルパーからクレームが出ている。二時間では、清拭と食事と散歩は無理、とか、掃除は指示の中に入っていないから、するわけないし、出来ないとか、そういうことを言われました。
まるで、通販のテレビみたいで、サービスのセンター長が「30分なのに、それでは足りないそうです」ケアマネが「えー、気の毒に。それで、請求は30分なのですか」と言う感じでした。私が延長をお願いしたわけではないのですけど。
食事の買い物が週に一回ではと言うこともあり、週のまんなかで一時間入ってくださるようにお願いしてみました。
色々な方が事業所を変えたほうがと言われますけど、ここへ来て、流石に私も考えます。こんな茶番を聞くために、胃が破れるような思いをして、時間を作ったのかと思うと、断腸の想い。

夜は、父を連れて北山の形成外科に、イボとりの手術のため行きました。レーザーなら早いと思ったんですが、切り取って縫い合わせるという方法みたいです。それも、お昼しかされないそうですが、手術と言うからには、やむを得ません。
予約を入れ、血液検査の採決を済ませて帰りました。父を着替えさせて帰ると十時前。疲れました。でも、行きも帰りもタクシーの運転手さんがいい方で助かりました。車椅子でタクシーに乗ると、嫌味を言われる事が多いので。

今日もお風呂は無理みたい。心の中で、お湯の中にザバーっと入ることを想像して、心の安らぎにして寝ます。  


Posted by tao  at 00:25Comments(0)介護生活

2007年01月17日

道が開けて

父のイボ治療に道が開けました。主人とも相談してもう一軒皮膚科に行ってみようという話しになっていたところに、訪問看護婦さんが近所のクリニックが昼から皮膚科があると言ってくださり、ちょうどうまいこと、シルバーの方が外出介助に来てくださる時間帯なので、お願いしたのです。結果は自分で行ってお聞きしました。

そちらの先生は、イボは悪性かどうかは結局組織検査をしないとわからないけど、どちらにせよ根っこのあるイボで大きくなるので、取ってしまった方がいいのではと言われました
昼はどうにもならないと泣きつき、夜診のある系列のクリニックを紹介して頂きました。手術は昼間かもしれないのですけど、とにかく、一歩前進です。一晩寝たこともあり、気持ちが立ち直りました。

私のような人間には、夜診療を受ける事のできる病院のリストは欲しいものの一つです。本当に。  


Posted by tao  at 00:54Comments(0)実家の父の話

2007年01月16日

leave me alone

母はお餅が大好き。お餅を食べたいと普段から言われているのですから、ましてや、お正月では。うちの会社のヘルパーさんはお餅を出す事は禁止されています。でも、母に乞われるままにお餅を買われ、「お嫁さんに食べさせてもらってください」と言われるのです。私にも「食べたがってらっしゃってお気の毒なので、お願いします」と言われます。

でも、チョッと待ってよどうしてお餅は禁止されているの?喉に詰めて危険だからでしょう。

私自身も入れ歯をはずして歯茎で物を噛まれる母に不安でしたが、母の希望をかなえてやりたいと言う気持ちと、ヘルパーさんからも、私が不親切みたいな言い方をされたりすると、なんとか、食べさせてあげねばと言う気持ちになりました。
ただ、部屋で夜に食べてもらうのは、私が帰宅するから不安で、朝ディに行かれる前はしばらく横になられないし、職員さんの観察もあるからいいけど、ヘルパーさんが駄目なので私が行って食べてもらうのは実行不可能だし、ディから帰宅後店に寄られたときしかないと考え、今日安倍川餅にして食べてもらいました。
結果は、大喜びで食べだされたのですが、一つ目を飲み込まないうちに二つ目(一つの餅を小さく切ったのですが)を口に入れて、喉を詰められました。直ぐに喉に手を突っ込んで餅は取り出したのですが、しばらく苦しまれました。幸いヘルパーさんが居られたので、温タオルを胸に当てたりして手当てをしてくださったのもあり、落ち着かれたのですが、もし、せっつかれるままに私が夜一人のときにこんな事になったら、と思うとぞっとします。

もう、お餅は母が希望しても食べてもらえないとケアマネさんにお話しました。伊達に禁止されているのではないのですし、家族ならリスクを背負えると考えていただいても困ります。私が苦しんでいる母に出来るのは救急車を呼ぶことだけだったと思います。

夜は父の皮膚科行きです。父にイボが出来ているのですが、なかなか直らず悪くなっているという事で、父自身は何とも思っていないのですが、デイサービスの看護婦さんと、訪問看護婦さんが連れて行くように言われるのです。

私自身何かあっても皮膚科に行く時間はとれません。皮膚科と言うのは七時までの所ばかりだからです。私は子供に恵まれませんでしたが、婦人科に行く時間も取れませんでした。目医者でもなかなかです。手を切れば、ゴムバンドで止血するくらい。それでも化膿した事もなくなんとかやってきました。
そんな人間に皮膚科に連れて行けというのは、かなり厳しいことです。父が自分で身じまいをしてくれればいいのですが、その時間もとると、本当に仕事を中断して、皆が働いているうちに出て行くしかありません。

今日はそれも、父が寒いとぐずぐずして、車椅子を引っ張り出して走りましたが、父がこういうときに限って靴を車椅子から落としたり、ひざ掛けをずり落として車に絡ませたりして、最後はひざ掛けと靴を手に持ったまま車椅子を押して走りました。でも、間に合いませんでした。診療は終わりましたという看板を見て呆然としました。
そこを押してお願いして看て頂いたのですが、イボが大きいので大病院に行って一度検査をして貰えと言われるのです。日赤に紹介状を頂いて唖然として帰りました。どうして連れて行ったらいいのか考えました。とりあえず内科医に母のエンシュアと父の血圧や便秘のお薬を頂にも行かなくてはならないし、それが済んでから、日赤に電話して皮膚科の診療時間を聞きました。
結果はやはり午前中で、明日シルバーの方に連れて行っていただくという可能性は消えました。後は、弟をなだめすかすのが一つですが、お正月に父のお守りで大変だったのでかなり厳しいと思います。それが駄目なら、父に、休止状態になっている外出介助の方にお願いするしかありません。それとも、全額負担でヘルパーさんをお願いするか

やはり、仕事に縛られている私が父をみるというのが、思い上がりだったのでしょうか。病院に連れて行ってあげることも出来ない私が、どう、父をみれるのでしょう。
イボはそんなに大変な事になっているのでしょうか。父は痛がっていないのに。
疲れました。一人になりたいです。何も聞きたくないのです。できないことをしろと言われるのは耳にしたくないです。今日一晩だけ、逃げさせてください。  


Posted by tao  at 00:06Comments(0)介護生活

2007年01月14日

父のひとり外食

ヘルパーさんが血相を変えて言われるのには昨夜父は一人で手押し車を使い外出し、マンションの真向かいの定食屋さんに行って、一人で定食を食べてきたというのです。電話して確かめると、父はしっかりした声で出て、昨夜の昨日の行動もしっかり覚えていました。

デイサービスの迎えの車を待っていると、定食屋さんのメニューが目に付くのでかねてより行ってみようと考えていた
昨夜はたいして食べたいおかずがなかったので、行ってみる気になった。
薄暗い通路を通って店内に入ると、空いていたが、間もなくドンドンお客さんが押しかけ、まあ、こうでなくては店もやっていけまいと納得した事。
食事の内容については、まあ納得できるものだったので、又行くつもりであること
店の奥さんが「どこから来やはりました」と言うので向かいのマンションと言うと、すぐに私の父だろうと言われたこと、主人についてもよく知ってられたことなども、話していました。

こんなに、しつかりとした父の話は久しぶりです。自分の意思どおりに行動できることが、父をこんなに変えるのだとしみじみ嬉しくなりました。
ケアマネさんとかのお立場では、絶対外出OKとはされないと思うけど、この間からの外出介助のいろいろなことからも、私自身は内心父が一人で近場なら出かけることは可能だし、そうさせてあげたほうが絶対父の精神衛生上いいと思うんです
こんなふうに閉じ込められて、ヘルパーさんに追い立てられるように買い物に連れ出されたり、介助の人に恩着せがましく(父にはそう感じる)偉そうに連れ出されるのも父は御免なのだと思います。そういう父の意思も尊重するべきだと思います。ふらついて倒れるのは心配だけど、今は手押し車を使えば大丈夫と父の言うのは、まあ、そうかなと思うんです。ディサービスでは杖で動いているのですし、父なりの用心はしているのだと。

子供と違って、転倒のリスクは余りに大きく、居宅生活に終止符を打つ危険性も含んでいるとは判っていますが、父が気をつけて近場で行動しているのまで禁止するのは、父に幼児か乳児のようになれと言っているのかもしれません。
見違えるようにしっかりして、財布にお金はあるのか訊ねると即座に金額まで言え、私の体調まで気遣う父に、自分の意思どおりに行動できる事がこんなに父を大人にするのかとビックリし、又行くといいねと言いました。  


Posted by tao  at 00:54Comments(0)実家の父の話

2007年01月09日

真冬にエアコンなし

母のマンションはエアコンもガス。なので、一晩中付けっ放しにすると、マイコンガスメーターがガス漏れと判断して、元栓を締めます。これは、ヘルパーさんにも徹底して連絡しているはずなのに、なかなか難しいのです。昨夜母の所に行くと、元栓が締まっていて、エアコンは送風になっていました。私は熱がぶり返していたのですが、もし行かなければ、母は一晩中冷風をあぴて居た事でしょう。

多分一昨夜のヘルパーさんがタイマー無しだったのだろうと思うのですが、怖いのは、昨日の朝のヘルパーさんも、夕のヘルパーさんも気がつかないこと。やっぱり、当てにしてはいけない、こちらが熱があろうと、母を守れるのは私だけだと再び思ったことでした。
ヘルパーさんというのが、こんなものだとしたら、独居の方はどんな目に合わされていることだろうと思ってしまうのですが、家族がいるからこうなのでしょうか???  


Posted by tao  at 07:16Comments(0)介護生活

2007年01月07日

余分な仕事

今日は、カシミアのセーターとティッシュの丸めたものがポケットに入ったままのズボンなどいろいろ入った袋が来て、またやってしまいました。ティッシュのボロボロになった粉々の紙くずがカシミアのセーターに、パン粉をまだらにつけたみたいになっていました。時間がじっくりあれば、また、洗濯物がもう少し少なければ、ちゃんと気がつくのに・・・なーんて、いい訳ですけどね。
ヘルパーさんも、一度着るごとにセーターは洗わなくていいとは思わない若い人もあり、カシミアセーターでも、ソフトなジャケットでも、頓着ない方も多く、濡れタオルと一緒に丸めて袋に押し込んでこられるので、こっちが気をつけるしかありません。

痛むからと言って、父や母におしゃれをさせてあげないのはかわいそうです。グループホームの母にも、あえて、ドライで洗う麻のブラウスなども私はプレゼントしています。父のカシミアも、カシミアの特性は薄くて軽くて暖かいのですから、寒がりの父には必需品です。

一時間掛かって、まず手で取れる限りのパン粉状の紙くずを取り、最後はガムテープでペタペタ。本当に余分な仕事だと思います。  


Posted by tao  at 01:11Comments(0)介護生活

2007年01月07日

父の外出は一旦挫折

昨夕外出介助をしてくださる方からお電話があり、父の拒絶が酷いため中止の申し入れがありました。あんなに頬を紅潮させて喜んでいた父なのに、どうしてこうなったのでしょうか。

介助をお願いした団体の方は、勤務時間や内容を全く記録したものを残されず、請求されたものを信用するしかないようでした。連絡ノートの記入も何回お願いしても殆ど行われず、入室時間のみの記入で退室時間は無かったし、契約書も交わさずにどんどん進んでいき、再三お願いして、やっと来た報告を見てビックリしました。
最初の床屋さん行きは、10時から15時30分 9,300円となっていました。一時には終わりましたと言って前を通られていたのですから、ビックリしました。他の日もそれに準ずる感じです。お電話してお尋ねすると「筋トレ」だそうです。「そんなに長時間?」

父に尋ねてみて判ったのは、父は外出の後介助された方も疲れて休んでられるのだと思い、雑談していたようなのです。それが、タクシーのようにメーターが倒したままになってカウントされていたと知って、父は信頼を裏切られた気がしたのでしょう
さらに父の神経を逆なでしたのは、ホームヘルパーさんやディサービスの職員さんに優しく丁寧に応対されるのに慣れている父に、「行くぞぅ」「○○しぃ」とか言う言葉遣いのようです。例えば文具店で父が選んでいる最中に脇から勝手に割り込んで決めてしまう、そういった一連の行動が父にとって人格をおとしめられた気がしたようです。
こうして、父は拒絶に至ったようです。

今後どうするのか考えていくと、父自身が判断する力はあるのですから、じっくり待っていこうかと思っています。連絡先は壁に貼ってあるので、父がお願いしたいときにお電話し、双方都合が折り合えばお願いする事にし、本人の意思をもっと尊重して先走らない事にしなくては。  


Posted by tao  at 00:51Comments(0)実家の父の話

2007年01月04日

ダウン

除夜の鐘が鳴ってしばらくすると、発熱・嘔吐・下痢が始まり、初日の出の頃には流行性感染患者となっていました
毎年年末がきつい事はよーく判っていますから、出来る限り年賀状は十一月中に書いてしまうようにとか、十二月の全ての日曜日には、一日がかりの外出はしないとか、倒れない為のノウハウは掴んでいるつもりです。でも、それはあくまで理想ですからねぇ。
去年は年賀状は二十日過ぎてまだやっていましたね。

ヘルパーさん以外の方に父の外出介助をお願いしだしたのが十一月末からでしたから、ヘルパーさん達にも連絡がいきわたらず、ヘルパーさんに父に必要なものの買い物がしていただけなくて、後から来たヘルパーさんから「これも買っていない。これも、無いのに!!」と文句を言われるのがとてもきつかったです。
他のヘルパーさんのミスを私に文句言われるだけでストレスだったし、それが父と母と両方のヘルパーさんがそうで、年末なのに二人とも食べるものが何も無いと言われたら私が買い物に行く事が出来ないのも事実なので、パニックです。

昨日ようやく母の元に行ったら、エアコン無しで寝ていました。家族が倒れると気の毒な事でした。可哀想な事をしました。
去年は母一人だけどお正月にヘルペスを患い、今年はノロウィルス。まあ、ヘルペスと違ってあとが残らないから良しとしますか。早く直りたいです。  


Posted by tao  at 23:34Comments(0)介護生活