父の
イボ手術は無事終わりました。
二回の消毒通院を経て、一週間後検査結果をお聞きし、
抜糸を済ませました。
結果は、
悪性だけれど、周囲から大きく切除したので、大丈夫だと思う、
ただし
、定期的に観察の必要はあるということでした。
父にとっては、私との外出は「すまんなぁ」と言いながらも、とても楽しみだったようです。
抜糸が終わっても「今日は病院行かんでええのか」と毎晩電話をしてきました
夜仕事の後で病院に連れて行くのは、結果的に五回だけだったのですが、昼間の手術で抜けることもきつかったですし、仕事が終わるのが遅くなり、皆が仕事をしている最中に、事情を話して早退するのも、きつかったです。
病院から父を連れて帰って、父も「早く帰ってご飯をしてあげて」と言ってくれるのですが、
帰宅すると九時半。それから支度をして終わると十一時は回り、それから洗濯物の山を畳みだし、というのは、大変でした。
でも
、父と色々な話ができました。
父は、
やはり、外出したい、でも、前にお世話になった方にお願いするしかないのかなぁと、迷っていました。
結局十回くらいの外出で、去年で終わっており、
今年になってから、一回も外出できていないのです。
教会は父にとって唯一と言ってよい位、公的な場所です。
以前は父は背広を着て通っていました。
洗濯の出来ていないシャツ、時に来たまま台所の椅子で寝ていた背広ですが、父としては、目一杯きちんとした格好で行きたかったのだと思います。
ですから、毎月の献金が滞っているのが、幾ら説明しても気になって仕方がない。
それは、それだけ父がまだしっかりしているという事でもあり、
この願いはかなえてあげなければならないと思います。
ただ、父も前回で傷ついたのですが、私もダメージが残りました。
前回父をグループホームに連れて行ってくださる時、たまたま通り合わせたのですが、道の真ん中でタクシーを止められ、車は渋滞してクラクション。
父は、母に渡すクリスマスプレゼントの袋と自分のかばんを全て持ったまま、タクシーに乗ろうとして悪戦苦闘し、ヘルパー資格を持った介助の方は、離れたところで静観しておられました。
冷たいものを感じました。
ところが、グループホームに着くと甲斐甲斐しく介助されているそうでした。
人と一緒のときなら、きちんとした言葉遣いで話されて、ちゃんとした方のようなのに、父と二人だと変わられるのなら、どうしたら安心できるのか判りません
私の風邪が長引いて、次は父のイボ騒ぎで、考えなくてはと思いながら、気力が出ませんでした。
私にとっては、駆け込み寺みたいに、困ったとき電話して相談にのってくださる、ありがたい方がいらっしゃいます。
本当にご迷惑な事なのですが、父のことも相談させていただき、その方から
ボランティアの方で、関心を持ってくださる方がいらっしゃると聞き、お話が進んでいきました。
去年ボランティアの団体の方からの「どうしてボランティアでなくてはいけないのか」と言う質問に答えることができなくて、お願いできなかった私ですが、お逢いすると、とてもきちんとした方で、かつ温かいものを感じました。
ボランティアの方とのお付き合いは初めてで、どう考えたらいいのか判らないのですが「
やりましょう」と言うお言葉は、
ひたすら嬉しく、甘えさせていただいていいのかなと思います。