京つう

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Posted by 京つう運営事務局  at 

2009年03月29日

リハパン卒業♪

グループホームに入居している実母が、紙パンツから普通の下着に戻りました。

尿意を感じると、間に合うようにトイレに行くようになったのです。

普通の布パンツの用意を言われたのですが、義母の経験から、失敗すると本人もダメージが強いため、尿漏れパンツを用意しました。
グンゼの尿漏れパンツは、ビンクで木綿、クロッチ部分だけ二重で厚く、ウェスト部分はレースで食い込みにくくなっています。
これは、介護用品売り場で買いました。
もうひとつ、生理用品売り場で買った尿漏れパンツは、私が「ズロースがいいかも」で写真を撮ったもので、かなりお洒落です。
吸収尿量は、グンゼのピンクが50cc、パープルは30ccとか。まず失敗していないということなので、どちらでも大丈夫のようです。

母はアルツハイマーですが、こうして、部分的にですがよくなることもあります。
認知は進行のみと絶望しないで、一緒に頑張りましょう
ICON35  


Posted by tao  at 03:18Comments(0)実家の母の話

2008年04月09日

美容はケア!!

年末のばたばたが終わって、母のところを訪問すると、母がさらに体重が落ちているのに気がつきました。
今までは、痩せたと言っても、ほっそりの範疇でしたが、今では胸のふくらみもまったくなくなっています。
あわてました。

食事は、進んでいるといわれます。
今まではプランの中に、食べないときは後で部屋ですすめるなどが書いてありましたが、本当に、そうしていただけているのかと、不安になるような要素が、今のあのグループホームにはあります。

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Posted by tao  at 23:36Comments(1)実家の母の話

2007年07月06日

認知症の椅子

母は、自分の居室にこもりがちです。
で、こもっている時は寝ています。
椅子が無いからです


居室なので一人だから転倒が心配とか、スペースがあまり無い事もあって、動線が変わることを認知症の母が対応できるとか、不安がありながらも、このままではだんだん座位が保てなくなるのではと心配していました。


でも、とりあえずの折りたたみパイプ椅子はよくないと思いますし、よい椅子がないかなぁと書いていたら、こんなところを教えていただきました。

http://www.dermeister.co.jp/

かねてから、日本での椅子や靴は心地よくというところや機能がおざなりで形だけになりがちとは聞いていましたが、本当に椅子って大事なんですねぇ。
徘徊が収まったとか書いてありますよ。

でも、30万とかface08  » 続きを読む


Posted by tao  at 00:02Comments(0)実家の母の話

2007年07月02日

外出成功

認知症で、メンタルで心臓が苦しいと言う母を、気分転換させるために外出させる必要があると考えてはいましたが、実行できていませんでした。

何か、いつまでも宿題をこなせていない子供のようで、気に掛かって仕方ありません。

やっと、今日外出に誘い出し、成功しました!!

と言っても、もの凄く簡単だったのです。
母は歩行に問題はありませんし、グループホームである程度日常生活で自立を促されているため。何でも出来ます。

なんで、いままで、びびって、連れて行ってあげなかったんやろぅ。

一時間半の外出、母は大丈夫でした。
徘徊がなくなっていないとは限らないのと、ふらつきがでてはと腕を組んでいましたが、全くふらつきませんでした。
これからは、母が外出可能と宣伝し、きょうだい、おじたちが、外出させてくださる事を期待します。
あんなに喜んでくれたのだから
  


Posted by tao  at 00:26Comments(0)実家の母の話

2007年06月04日

新たな挑戦へ

実家の母の居るグループホームで、母が苦しいと言っているのに、いつものことと、職員さんの反応が薄かったと主人に話したので、主人が責任者に抗議してくれましたface09

責任者の方はその場にいらつしゃらなかったので、あってはならないことだと言って下さいました。
また、再三診察を受けており、苦しさはメンタルからであり、内臓に問題があるわけではないということも、言われました。
ただし、だからと言って訴えを無視してはならないとも。
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Posted by tao  at 23:40Comments(0)実家の母の話

2007年05月31日

苦しいといっているのに

実家の母のいるグループホームに、法事の後父と弟と三人で行きました。
母は、横になっていましたが、私達が来て起き上がりました。

例によって、空腹を訴えます。
法事で配られたお菓子を並べ、好きなものを食べるように言ったところ、薄くスライスしたパウンドケーキを食べました。

私達も戴き、職員さんが淹れてくださったお茶を戴いていると、とつぜん、母が

「胸が苦しい。お医者さんを呼んで!!」

母が苦しいというのは、毎度の事ですけど、ここまで言うのは初めてです。  » 続きを読む


Posted by tao  at 00:13Comments(0)実家の母の話

2007年01月21日

母は母

実家の母はグループホームにいます。

脳梗塞をわずらってから、少しずつアルツハイマーが進み、しっかり者と自他共に認める母は随分辛かったと思います。努力家でしたから、幾ら努力してもどうにもならないことの前にはいらだちも相当あったようです。
その頃、私は自分達の暮らしを楽しんで、介護をしなくてはならないという心構えは全くありませんでした。「えっ、なんで???」と言う感じでした。まず猜疑心が強くなったので「触らぬ神に祟りなし」と逃げ腰でした。ただただ、母を楽しませることを考えて、和ませるようにとだけ、心がけていました。

本当はもっともっと構って上げればよかったのでした。都をどりに連れて行こうと切符を買いにいったら、それだけの事をとても喜び「又頼むわ」と言ったのに、忙しくて、たったそれだけの事、近所を一緒に歩いてお茶をするということが、出来ないうちに、母の方は進行して行きました。
被害妄想でよく掛かってきた電話が、「苦しいから来て」という電話に替わってきました。きっかけは、父の入院・手術でした。弟は仕事は外回り、終わるとスポーツクラブという生活で、母は一人ぼっちになってしまったのです。

毎晩父の病室に行き、帰りに実家に寄っていたのですが、父の手術が随分先だとわかってから、やはり、食事を待つ主人のことを思い、母のところには毎晩行かなくなったのですが、ある夜行くと、あの気丈だった母が泣き出して「やっぱりね、寂しいのよ」と行った時、辛かったです。私にも、生活があるし、母の気持ちも判るし。
そして、来るべき時が来ました。父の手術の前夜母のところに寄ると、母は事態が全くわからなくなっていました。幸いずっとではなく、なんとかしっかりしている時もあったのですが、だんだん無くなっていき、姉のところに洗濯機の使い方を聞いてきたりするようになり、自分の家が、自分の生まれた愛媛の実家と思うようになってきました。

夏の夕、父と出かけた母が行方不明になり、激しい夕立の中母はどこでどうしているだろうと胸が張り裂けそうでした。電話がかかり母を救急車に乗せたりも繰り返しました。日赤に入ったとき、母は「蛸壺型心筋症」というものだと判り、心療内科の診察も受けだしたのですが、その後近くの病院に替わっていただくようになった薬が強すぎたのか、母はぼんやりするようになりました。
母が食事をとっていないとデイサービスからケアマネさんに電話してくださり、ケアマネさんがお医者様に連絡を取ってくださって、母は入院しました。環境はいい病院でしたが、母は膀胱炎も併発して歩行にふらつきがあるのにトイレに行こうとするため、車椅子に拘束されている事から、病院のケアマネさんのような方と連絡を取り、母がグループホームに入ったようなことです。

先日母の所に行くと、寒がっていたので私のコートを掛けてあげると
「重いのでは」
といいながら着てみたら
「軽くて暖かい」
と言うので、
「鏡見たら。可愛いわ。よう似合っている」
と言うと早速観に行って、かなり気に入ったようでした。
「お母ちゃん、着たらいいわ」
と言うと、少し考えていたのですが
「あんたが風邪ひくし、来て帰らんと」
「ほな、今度同じの買うて、お母ちゃんに持ってくるわな」
と言うと
あんまり、要らんお金使うもんやないで」
と叱られてしまいました。

認知症とはいえ、しっかりしていると笑えてきました。母はやつぱり、母です。
それに欲しいのに私が帰りに寒いと辛抱するなんて親ですね。

私が親とは有り難いものだと知ったのは、親が弱ってしまってからでした。もっと前にそう感じることが出来ていたらとか、もっと早く介護について自覚が出来ていたら、と、どうしても自分を責めてしまいます。でも、本当にそうしていたらこうはならなかったはずです。  


Posted by tao  at 02:26Comments(0)実家の母の話