京つう

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Posted by 京つう運営事務局  at 

2007年03月29日

豆球では明るくて眠れない父

父は真っ暗でないと眠れない人でした。
何しろ、昔は毎晩雨戸を閉めて寝ていたのです。

こちらに引っ越す時は、父のために遮光カーテンを用意しましたが、今は寝てしまう時は、明るくても寝てしまいます。
でも、眠りたくても一度トイレで目を覚ますとすぐに眠れないと言います。

トータルで睡眠時間は十分取れているというのですが、眠りも浅いのでしょう、眠くて仕方ないみたいです。
まあ、今日はこれをしないと、あれもしないとと、思うことが習慣となっていて、突然無くなってしまったら、心の張りも無くなってしまうのでしょうね。

昨日変えた布団でOKのようで、姿勢はよくなったので、後は睡眠の質かと思います。
父が明るすぎてついつい消してしまうという豆球の代わりを探していたのです。
電池では不経済なのですが、コンセントに差し込むタイプは、既にコンセントは蛸足で使いにくく、何か良いものが無いかと探しました。

結局、よいことではないのは知っていますが、延長コードを使い、差込型を使いました。
寺町でセンサーで暗くなるとつくタイプは680円位、スイッチ型だと580円位でした。
コーナンとか行けばもっと安いのかも知れませんが、行く時間がありません。

つけに行くと、父は目を覚ましました。
横になったままなので、豆球で明るいのだと思っていたようですが、顔の上は真っ暗で、ベットサイドのPT横に灯りが点いていて、かなり明るいです。
さらに明るくするには、電気コードが見えますから、これで明るく出来ると思います。

父が喜んでくれて、何よりでした。  


Posted by tao  at 23:43Comments(0)介護便利グッズやお店

2007年03月29日

転倒の原因か

昨夜父のところに行くと、寝てはいたのですが、ベッドに対して横に寝ていたのです。
つまり、ベット横の床に足をつけて、壁に頭を向けて、寝ていました。

起こして、きちんとベットに横にならないと、腰が痛くなり、冷えるからと言ったのですが、なかなかそうしません。
しかも、お布団をかけずに、ひざ掛けを足元に巻き付けているのです。

この状態で、寝ぼけてトイレに行こうとして起きたら、転倒しますね。

ひざ掛けを隠して、父が本来好きだった重い木綿の布団も片付け、軽い布団だけにしてみてはと、ヘルパーさんに言いました。
昨日私がうるさく言って、ちゃんとベットでお布団を来て寝たせいか、今日は腰痛の訴えなかったようです。

うまくいくと、いいんですが。  


Posted by tao  at 00:10Comments(0)実家の父の話

2007年03月27日

食事量と下剤

排便コントロールの、あの時点でのベストを以前記させて頂きましたが、また少し変わってきました。

このごろ母のディでの食事量が、少し落ちています。
起床時間は長く、運動量的にも増えているのですが、なかなか食事量に結びつきません。
折り紙、ちぎり画などもされ、体操にも参加、気分転換はしっかり出来ているはずです。


そのためか、ディで食事が一割とかの時は、下剤が従来の量では効きすぎてしまうようです
結果いつまでも水便が出て、気分も落ち着かず、食欲も減退と悪循環です。

さらに、調整が必要なようです。
というか、どうしたら食事量が増えるのでしょうか。  


Posted by tao  at 21:09Comments(0)母の話

2007年03月27日

短時間入浴

私は冷え性なのに、吹きさらしのところで仕事をし、暖房無しです。
で、洗濯物を畳んでいたら、睡眠時間は五時間半。
お風呂は諦める事が多いです。

でも、いい事を聞きました。
五分で暖まるには、脚とかに水と言うかを少し掛けてから、湯船に浸かるのだそうです
水で血管が収縮したところへ暖まるので、普通に入るよりいいそうです

忙しくて、私のように入浴を諦める人、五分で暖まるなら、いいかも。  


Posted by tao  at 00:13Comments(2)介護生活

2007年03月25日

ビックリしたニャ

父は猫が大好きです。
犬も嫌いではないのですが、猫の方が可愛いのです。

このあいだ、父が寝ている間に、こっそり、猫の置物を置いてきました。
千円均一で買ってきた、兎の毛で出来ている、猫そっくりのもので、音に反応して鳴くのです。

父が目を覚ますと、猫が寝ているので、いつの間に野良猫が入ってきたのだろうと思ったそうです。
近寄ると鳴くので触ってみるまでは判らなかったとかface08icon10

落ち着いてからは名前をつけて撫でてやっているそうですが、ヘルパーさんに私のことを
あいつは、昔から、よう、こんなこと、しよる」と笑っていたそうです。  


Posted by tao  at 16:47Comments(0)実家の父の話

2007年03月25日

とにかく、休憩を

毎日しなければならない事が山ほどあると、優先順位をつけざるをえません。
銀行は三時までとか、タイムリミットのあるものを、その時間に合わせることが多くなります。

母はデイサービスから四時に帰ってくるので、その時までにお茶や、ご飯などを揃えておかなくてはなりません。
朝、ヘルパーさんに頼まれていたものも、準備しておかなくてはなりません。
次に父が五時に帰ってきますが、お迎えのヘルパーさんはその前に来られるので、それまでに支度。

うちの昼ごはんは二時くらいから始まることが多いので、四時と言うと、仕事に追われていると私の昼ごはんは未だのことも。
でも、四時半くらいから店の片付けに入るので、お八つは出しといたほうがいいし、その時間までに、介護事務所でも、訪問看護婦さんでも連絡取るつもりで居ないと帰ってしまわれるのでicon10

このあいだ、焼き芋を焼いた鍋を、ほかの事が片付いてから洗おうとして、ジュウと言う音と、白い煙が立って自分が何をしたのか知りました。
鍋の火を消していなかったのです。
私は焼けた鍋をつかんだのでした


頭はやっていることと違うことばかり考えていました。
父を違う事業所に部分的にお願いできないか問い合わせをしたり、そうこうしているうちに、実家の母のメガネが割れたから、迎えに来て新しいメガネを作ってくれと電話が掛かり、商品を早く作れと店からは急かされ、流しにはまだ昼食の洗い物が手付かずのままであり、その他もろもろで一杯でした。

こんな事で、父の介護の見直しなんて、ちゃんとしたことが考えられるはずが無いと気がつきました。
とにかく、一度休まなくては


介護疲れから殺人とかいう事件がよくありますが、あれは、やったことのない人には絶対判らないと思います。
嫌だから、絶望したからと言う以上に、判断力も無くなっていきます。
そうなる前に、周りが気づいて手を差し伸べて上げられる体制が未だ無いと思います。
  


Posted by tao  at 16:40Comments(0)介護生活

2007年03月21日

父の歩行練習開始

先週の火曜日に、ようやく父に「理学療法士」の方の査定をしていただけました。

父でも母でも、どこがどう悪いという事はないのですが、自分が病気だから歩けないという感覚があります。
私にしても、これをさせることは無理なのだろうか、させたほうがいいのだろうかと判断に困る事はしょっちゅうです。

元気でいても、看護婦さんの訪問や、リハビリは必要だと思います。
体調管理を個別にしていただけて、デイサービスの看護婦さんと連絡・連携していただけます。
歩行等についても、これから指示を出していただければ、ディサービスでの行動も、より効果的になるでしょう。

本当は、父は不安定ながら歩行をしているので、こちらに来た時からリハビリは希望していたのです。
でも、ケアマネさんが「高くつきますよ」「たいへんなことになります」と言われ「どのくらいですか」にも黙殺で、ここまで来てしまいました。

交代されて間が無かったのでよく判らなかったケアマネさんの傾向がこの頃わかってきて、これは、言いなりになっていないで、リハビリを受けさせるべきだと考え、こうなったわけです。

父はリハビリの方を喜んで受け入れたようです。
今日から歩行練習が始まり、マンションの廊下を歩行器で歩いたのですが、自分でも練習したいと言ったほど、歩行への意欲は高いようでした。

これを周りがサポートしてあげるのが本道だと思いますが、私が仕事で人手が無いため出席できなかった担当者会議では、どう言う議論がなされたのか、どの方向からも情報が入ってきません。
あのケアマネさんでは、査定をされたばかりの理学療法士の方の出席も求めてられなかったくらいで、形骸化された会議、自分の方向確認くらいしかされていないと思いますので、わざわざ問い合わせる必要も無いだろうと思っています。

会議はどうあれ、こちらは父の歩きたいという希望にそって、ケアを考え直させていただきます。
寝込まないで、病気でなく生きていれば十分と言うケアマネさんにお任せしていては、父の心が病んで、認知へと向かうと思います。
  


Posted by tao  at 09:54Comments(0)実家の父の話

2007年03月19日

二つ折れの人の服

父は昔の軍隊では甲種合格、体格には自信を持っています。でも、それって、ホント時代遅れなんですよね。

自分の事を例に取れば、私は163cmで、高校時代は同年の男子の平均身長でしたicon10
でも、今は女としてでも、大柄とはいえないんですよね、横幅以外は。

そんなわけで、162cmの父は、本当はSサイズで十分なのです。
又、パジャマなどはそうでないと丈上げをしないといけないことになってしまうのです。
でも、自分は大柄であると思い込んでいる父は、Mでも小さいと文句を言っています。

問題点は二つあり、体の柔軟性が落ちているので、着難い事。
もうひとつは、同じく柔軟性が落ちている事からズボンが上まできちんと上げられないのです。
いわゆる腰パンで、お尻の割れ目が見えるくらいですから、腰は痛くなり、体も冷えるのです。

二つ目の問題点に関しては、腹巻と言う手がいけそうに思いますが、絶対トイレに行こうとした時、邪魔になって失敗し、その後は上に捲り上げたままか、下にずりおろしたままだと思います。
、後ろの長いシャツがあれば、いいのになと思います

カッターシャツは後ろが長いですけど、寒いし、もっと長くてもいい人もあると思います。  


Posted by tao  at 23:53Comments(0)こんなの欲しい

2007年03月19日

夜のお仕事?

今父のところから帰ってきました。

その前は洗濯物を畳んで母のところに行き、エアコンフィルターと加湿器のフィルターの掃除と、デイサービスの荷造り、連絡ノートの記入(ディサービスのと、ホームヘルパーさんあて)オムツなどの備品の在庫確認などをしてきました。

それから、父の洗濯物を畳んで、父のところに行き、明日の朝父が服用するお薬のセットです。朝父が着る下着や服はちゃんとそろえてありましたが、そうでない時は、そろえておかないと、まだ自分ひとりで全て出して着る事は出来ないので、下着だけで寒い寒いと言っていたりします。
引き出しから必要なものを出すトレーニング中です。

一戸建ての家で、壁を隔ててですが、家族も寝ているという状態から、86で引っ越したのは、父にとって、大変だった事だと思います。
部屋の配置や段差などにはついては、こちらの不安をよそにトラブルというトラブルは無かったのですが、壁を隔てて知らない人が住んでいることに対しては、長らく不安だったようです。

知らない人が立っていたという妄想を鎮めるのは、私が父の寝ている時に寝室に入らないことでした。傑作だったのは、ディサービスに鍵を持って行くときかないのですが、理由が、部屋に泥棒が入って鍵を盗んでは大変だからICON44

今は、たいぶ慣れたようです。
昨日父は教会に、お世話になっていた牧師様の送別会に行ったのです。
私はお寺の彼岸法要があり、同じ教会の友達に、帰宅までの世話を甘えたのですが、父はマンションにつくなりしっかりし、杖も手引きもなしで歩けたそうです。

この頃新聞をとりに鍵を持って下まで行くようです。
今も気持ちよさそうによく眠っていました。
母が、私が来るのを待ちながら眠ってしまうことが多いのですが、なんとなく「来たな」と微笑んでいたりします。
父もそうなっていってくれるのですかね。

さて、これから、父の排便記録や、母の排便連絡メモなど、刷り物があります。
ヘルパーさんが、みんなやってくれていいですねと言われると、人にはそうとしか見えないのかなと思います。
ヘルパーさんは、介護の家族の手の届かない事をしてくださる方と思っています。
あくまで、家族も介護する姿勢です。  


Posted by tao  at 23:40Comments(0)実家の父の話

2007年03月12日

急がば回れ

父の外出介助をしてくださるボランティアのぬNさんが、今朝、父の介助に不安があると断ってこられました

先週御所に梅見に連れて行ってくださったのですが、ヘルパーさんのアドバイスで車椅子でなく、手押し車で行かれたので、久しぶりの距離のある歩行で、父はふらつきがでました
父はとても喜んでいたのですが、介助される側は、責任と不安から、今後引き受ける事に不安があると感じてしまわれました。

父もショックでしたでしょうが、私も欝みたいになってしまい、なにをする気力も起こらず、じっと座り込んでいました。
主人が気分転換に連れ出してくれ、弟とあって話をし、ようやく今すこし、気持ちを立て直したところです。

元々Nさんは、いきなり外出ではなく、何回も逢って、父について知り、歩行などについても把握してから外出したいと言われていたのですが、父が教会や母のところに行きたくて仕方なく、初回から外出となったのが、今にして思えば間違いだったのだと思います。

初回は、主人が用事で不在だった事もあり、私が同行して、父の介助について把握していただけるように配慮したつもりでしたが、二回目が、全く違う長時間歩行介助となってしまったため、水の泡となってしまいました。

ヘルパーさんが、自分達でも大変だろう事を、ただ、運動不足だから歩いたほうがいいと、御所に行く事を知っていながら言われなければ、と今日何度考えたかわかりません。
教会で十数歩歩くのと、御所で500m歩くのと、危険度も、父の疲れも全く違うことを思えば、あれほど父が喜んだ御所散歩でしたが、残念でした。

今、気を取り直して考えているのは、あわてて、他の方を探す事より、今週の火曜日に理学療法士の方の査定を受けるので、その結果を受け、リハビリを始める事が先決だと気がつきました。
地道に筋力を回復してから、外出介助の方を探そうと思います。

急がば回れ、ですね。
  


Posted by tao  at 00:40Comments(0)実家の父の話

2007年03月07日

やっぱり難しい

父のケアの中で、部分的にヘルパーさん以外の方を取り入れようと悪戦苦闘中ですが、どうも上手く行きません。

本当に介護の事をよく理解されて、そういう事業をされているとは限らないみたいです。
まして、現場の方は、ヘルパーさんのように教育を受けられる義務があるわけでは無し、又、先に懲りているように、ヘルパー資格を取っていられても、実務で経験をつまれ、事業所のチェックを受けられていない方は、ビックリするような方がいらっしゃるみたいです。

料金が高いからと言って、ヘルパーさん並には実際できないのか、されないのか、もありますし、安いからと言って、必ずしも配慮が無いわけではないし、シルバーの方みたいによくしてくださる方もあります。

でも、仕事の遅いヘルパーさんよりも仕事はいろいろは出来ない、だから安いのかもと思えることもありそうで、かなり、ためらっています。
かなり、仕事はモノラルな気がします。

でも、「午には乗ってみよ、人には添うてみよ」と言いますから、もう少し様子を見るしかないかなと思います。  


Posted by tao  at 23:32Comments(0)実家の父の話

2007年03月04日

父のケアプラン見直し

去年の八月父を町内のワンルームマンションに引き取り、ヘルパーさんについていていただいていましたが、介護の限度支給額を大きくオーバーしているので、父がある程度回復した事もあり、見直しをすることにしました。

本来なら、これは、ケアマネさんがしてくださることなのは、私も判っています。
でも、母の担当者会議等を経て、今私がこのケアマネさんに抱いている印象は、申し訳ないけど、お任せできないと言う事です。

ひとつは、基本的なお考えで、今うちの母は、四人目のケアマネさんで父と同じこの方なのですが、三人目の方は「よくなるには、どうすれば」というお考えでした。
これを積極的介護とするならば、今の方は消極的介護対処療法もされない気がします。

皆高齢者は悪くなっていくのが当たり前、なってないのなら、コレで十分

と言われました。
それに、、ヘルパーさんの不足を理由に適切な時に入っていただけず、必然的に必要なケアを行えていないこともあります

父を当初から、低血圧以外は問題がなく、ただ実家で椅子に座ったままじっとしていて、話し相手も居ないままだったので、会話は成立しないほど、人のいう事が聞き取れず、父自身もろれつが回らず、又運動能力も衰えているので、ディケァなり、訪問リハビリを受けさせたいとお願いしていたにもかかわらず、「高くつきますよ」の一言で却下されていたのです。

もちろん、そのまま引き下がるわけには行かず、「幾らくらい掛かるのか仮プランを立てるかして、教えてください」と言ったのですが、黙殺と言うか、放置でここまで来ました。

そうしてこちらの経済を配慮してくださっているのかと思えば、「他の時間帯はヘルパーが詰まっていて手配できないので」と、夕方父の食事前に来ていただきたいのに、父の寝る前にヘルパーさんが来られ、父は自分で着替えも歯磨きもするのに、身体介助で入られるのですが、これが夜間割り増し手当てをとられるという説明は、もちろん全くありませんでした。

私には、不満に思っても抵抗する手立てがありませんでした。
でも、昨冬からシルバー人材の方が来られ、先週からボランティアの方も来てくださり、このままケアマネさんの言いなりになっている必要は無いと思えるようになって来ました。

ケアマネさんが、三月のプランを持ってこられ、担当者会議は止めましょうかと仰られたので、その前に、父がこれからどうなりたいのか、どうしたいのか、父の考え希望を聞いていただけませんかとお願いしました。

結果をFAXで送ってこられたのを見て、呆れました。
父がシルバーの方の悪口ばかり言っているように書いてあります。
でも、そんな事聞いた事もありません。
結局ケアマネさんが、我田引水で、そのように聞き出されたのだと思います。

この会社のヘルパーさんには満足していると父も母も言っていると書いてありますけど、二人とも、当のヘルパーさんを前にして、不平不満を言い立てるほど、認知が入っているわけではありません。母なんて、自力で起き上がりも出来ないのですから、ひどい人が居ても、その方の「あたん(=リベンジ)」が怖くていえないと思います。
第一、二人とも、ケアマネさんのことを、よく知らないオバサンとしか思えないでしょうから、いきなり来られて本音を言うはずがない
そんな事も判られなくて、よく平気でface08

シルバーの方を外してその会社のヘルパーさんを入れたいのが本音かしらと思ってしまいましたけど、肝心の父の「歩行したい」とかの希望を全く聞いておられないのは、ケアマネさんとして成り立つのでしょうか。
興味も持っておられないのでしょうか


そんなわけで、只今自力で奮闘中です。
父にとって、よりよい生活にむかえたらと願っているばかりです。  


Posted by tao  at 11:39Comments(0)実家の父の話

2007年03月04日

母のちぎり画



ディサービスから、初めて母の作品を戴きました

母が骨折で入院してからでは、四年近く、退院して介護生活を始めて三年半を超えました。
ディサービスは、一昨年五月から新しいケアマネさんがついてくださり、その方が母に元気になってもらうため、又床ずれに近い状態と、ひどいオムツかぶれの解消に入浴をと言う理由で、ディサービスを勧めてくださいました。

その代わり、泣かれても鬼になってくださいよ、お母さんのためを思うなら

と仰られた時は、どうしようと思いましたが、泣いたり怒鳴られたりしながらも、ヘルパーさんと二人三脚でここまで来ました。

初めは、入浴と食事・お八つ以外は殆ど寝てられて、だからこそ、安心してディサービスに行ってくださったのだと思います。
それが、だんだんお友達が増え、お喋りが楽しくなり、又職員の方も上手く誘ってくださって、並行して体力がついていったこともあり、母はリクレーションに参加する時も出てきました。

ピンポン玉で行うバレーボールがまず気に入り、大活躍だとお聞きして喜んでいたのですが、だんだん参加されるものも増えてきました。ICON59
去年の夏祭りでは、大太鼓を叩かれ、その余りの迫力に一同圧倒されたと言う話ですし、元々体を動かすのが好きだったこともあり、体操も頑張って参加されるようになりました

ただ、元々手先を動かして細かいことをするのは好きでなく、手芸などは参加されないのも、無理もないことだと思っていました。
私は好きなほうですから、ハンカチの絞り染めなどに参加されればいいのにと思いますけど、母は無関心でした。

ところが、去年位から、デイサービスの季節の飾り物の製作にも頑張られるようになり、誘われなくても、何かしましょうかと母のほうから声がけするようになったそうです。

そして、この、ひな祭りのちぎり画。
私としては感無量の作品です。
よくぞここまで、と思います。

icon09と蹴りicon10と、ICON47泣かれたりface09怒られたりしながらも、「帰りはきっとface02やし」を心の支えにして頑張って送り出してくださったヘルパーさんに、
そして、ディサービスの職員さんに、感謝します。  


Posted by tao  at 10:55Comments(0)母の話