事の始まりは、父の日実家に行った折、着替えに椅子がないとできないと言う話から、主人が椅子を持って行ってくれたことからでした。父の寝室まで椅子を持って行った主人は、
階段の急な事や、
上がってから寝室までのの長さが、
弱った父には無理と考えたのです。さらに、父と同じキリスト教会に通う友人が同じ事を言ってきてくれました。
出来るだけ、
父には生まれ育ったところに居させてあげたかったし、私自身にとっても、
実家と親はワンセットという気がして居て欲しかったです。同居している弟が家業を継いでいて、少しでも役に立ちたいというのが父の心の支えであるのも知っていましたが、その気力も薄れるほど実家での生活が困難になっていました。
動けなくなって、「座位を保つ」と言うのですが、座る事を続ける筋力が低下して、訪ねると
椅子から落ちていて、救急病院に連れて行ったりすることがありました。もう、踏み切るしかありません。
実家の母は、認知症の専門施設である、
グループホームに入っています。父をそこに入れられないか、とか、初めは考えました。グループホームは少人数の認知症の方が集団生活をし、出来る事をヘルパーさんの助けを借りてやっていく中で、自分にも自信を取り戻し、認知症の進行を遅らせる事ができます。何より、そこでの生活が非常に快適であるのを知っているので、そう考えたのです。
結果は京都では無理。大阪で空きがあるけど、住民票を移さないと駄目という事でした。何十人も「待ち」があるそうです。
介護の世界では、なんでもそうだという気がします。
高齢で、現状では無理になったから探すのに、何年かかるか分からないのです。
高齢者用マンションというのは空いているけれど、頭金が3,000万とかするのだそうです。そして、月々何十万。こういうところは定年後社宅から次の家として退職金をつぎ込んで、若いうちに住まれるとかでなければ、踏み切れない気がします。
いろいろ考えて、同じ町内の
ワンルームマンションに引き取ることになりました。
高齢者の独居というのは借りるのが難しく、主人名義となりました。時々は父のところに泊まりに行くというのが条件です。
空焚き・火傷・ガス漏れが心配なので、
ガスコンロは置かない事にしました。お湯は湯沸しポットで対応し、オーブン電子レンジでパンを焼いたり、食べ物を温めたりしてもらえば、何とかなるのではという考えです。引越しまでの顛末は、長くなったので次回にします。