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Posted by 京つう運営事務局  at 

2007年03月04日

父のケアプラン見直し

去年の八月父を町内のワンルームマンションに引き取り、ヘルパーさんについていていただいていましたが、介護の限度支給額を大きくオーバーしているので、父がある程度回復した事もあり、見直しをすることにしました。

本来なら、これは、ケアマネさんがしてくださることなのは、私も判っています。
でも、母の担当者会議等を経て、今私がこのケアマネさんに抱いている印象は、申し訳ないけど、お任せできないと言う事です。

ひとつは、基本的なお考えで、今うちの母は、四人目のケアマネさんで父と同じこの方なのですが、三人目の方は「よくなるには、どうすれば」というお考えでした。
これを積極的介護とするならば、今の方は消極的介護対処療法もされない気がします。

皆高齢者は悪くなっていくのが当たり前、なってないのなら、コレで十分

と言われました。
それに、、ヘルパーさんの不足を理由に適切な時に入っていただけず、必然的に必要なケアを行えていないこともあります

父を当初から、低血圧以外は問題がなく、ただ実家で椅子に座ったままじっとしていて、話し相手も居ないままだったので、会話は成立しないほど、人のいう事が聞き取れず、父自身もろれつが回らず、又運動能力も衰えているので、ディケァなり、訪問リハビリを受けさせたいとお願いしていたにもかかわらず、「高くつきますよ」の一言で却下されていたのです。

もちろん、そのまま引き下がるわけには行かず、「幾らくらい掛かるのか仮プランを立てるかして、教えてください」と言ったのですが、黙殺と言うか、放置でここまで来ました。

そうしてこちらの経済を配慮してくださっているのかと思えば、「他の時間帯はヘルパーが詰まっていて手配できないので」と、夕方父の食事前に来ていただきたいのに、父の寝る前にヘルパーさんが来られ、父は自分で着替えも歯磨きもするのに、身体介助で入られるのですが、これが夜間割り増し手当てをとられるという説明は、もちろん全くありませんでした。

私には、不満に思っても抵抗する手立てがありませんでした。
でも、昨冬からシルバー人材の方が来られ、先週からボランティアの方も来てくださり、このままケアマネさんの言いなりになっている必要は無いと思えるようになって来ました。

ケアマネさんが、三月のプランを持ってこられ、担当者会議は止めましょうかと仰られたので、その前に、父がこれからどうなりたいのか、どうしたいのか、父の考え希望を聞いていただけませんかとお願いしました。

結果をFAXで送ってこられたのを見て、呆れました。
父がシルバーの方の悪口ばかり言っているように書いてあります。
でも、そんな事聞いた事もありません。
結局ケアマネさんが、我田引水で、そのように聞き出されたのだと思います。

この会社のヘルパーさんには満足していると父も母も言っていると書いてありますけど、二人とも、当のヘルパーさんを前にして、不平不満を言い立てるほど、認知が入っているわけではありません。母なんて、自力で起き上がりも出来ないのですから、ひどい人が居ても、その方の「あたん(=リベンジ)」が怖くていえないと思います。
第一、二人とも、ケアマネさんのことを、よく知らないオバサンとしか思えないでしょうから、いきなり来られて本音を言うはずがない
そんな事も判られなくて、よく平気でface08

シルバーの方を外してその会社のヘルパーさんを入れたいのが本音かしらと思ってしまいましたけど、肝心の父の「歩行したい」とかの希望を全く聞いておられないのは、ケアマネさんとして成り立つのでしょうか。
興味も持っておられないのでしょうか


そんなわけで、只今自力で奮闘中です。
父にとって、よりよい生活にむかえたらと願っているばかりです。  


Posted by tao  at 11:39Comments(0)実家の父の話

2007年03月04日

母のちぎり画



ディサービスから、初めて母の作品を戴きました

母が骨折で入院してからでは、四年近く、退院して介護生活を始めて三年半を超えました。
ディサービスは、一昨年五月から新しいケアマネさんがついてくださり、その方が母に元気になってもらうため、又床ずれに近い状態と、ひどいオムツかぶれの解消に入浴をと言う理由で、ディサービスを勧めてくださいました。

その代わり、泣かれても鬼になってくださいよ、お母さんのためを思うなら

と仰られた時は、どうしようと思いましたが、泣いたり怒鳴られたりしながらも、ヘルパーさんと二人三脚でここまで来ました。

初めは、入浴と食事・お八つ以外は殆ど寝てられて、だからこそ、安心してディサービスに行ってくださったのだと思います。
それが、だんだんお友達が増え、お喋りが楽しくなり、又職員の方も上手く誘ってくださって、並行して体力がついていったこともあり、母はリクレーションに参加する時も出てきました。

ピンポン玉で行うバレーボールがまず気に入り、大活躍だとお聞きして喜んでいたのですが、だんだん参加されるものも増えてきました。ICON59
去年の夏祭りでは、大太鼓を叩かれ、その余りの迫力に一同圧倒されたと言う話ですし、元々体を動かすのが好きだったこともあり、体操も頑張って参加されるようになりました

ただ、元々手先を動かして細かいことをするのは好きでなく、手芸などは参加されないのも、無理もないことだと思っていました。
私は好きなほうですから、ハンカチの絞り染めなどに参加されればいいのにと思いますけど、母は無関心でした。

ところが、去年位から、デイサービスの季節の飾り物の製作にも頑張られるようになり、誘われなくても、何かしましょうかと母のほうから声がけするようになったそうです。

そして、この、ひな祭りのちぎり画。
私としては感無量の作品です。
よくぞここまで、と思います。

icon09と蹴りicon10と、ICON47泣かれたりface09怒られたりしながらも、「帰りはきっとface02やし」を心の支えにして頑張って送り出してくださったヘルパーさんに、
そして、ディサービスの職員さんに、感謝します。  


Posted by tao  at 10:55Comments(0)母の話