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Posted by 京つう運営事務局  at 

2007年01月21日

イケメンの外科医

父のイボとりという、極めて地味な事で、診察室のドアを開けたら、ビックリしてしまいました。花のような男性が白衣を着て座っていて
「ここは、形成外科ですが、いいですか?」
と訊ねられました。
「はい、先生に診ていただくようにと、皮膚科の先生がおっしゃつていました」
と返事はしたのですが、つい、まじまじと見てしまいました。

女性ですが、有森也美に一番似ているように思えます。
色が白くて丸顔で、目がお星様がキラキラみたいな大きくて黒い目なのです。
とにかく、あたりがソフト。外見も、応対も。
あまーい感じです。
こんな人がいらっしゃるのだと驚きました。

ただ、先生は人気があるのか手術が三月まで詰まっていて、違う先生に執刀していただく事になり、手術前に再度来院しなくてはならないことになりました。
それも面倒だし、イケメン先生とも二度とお逢いする事も無いでしょうから残念です。
こんどの先生に、すこーし期待するのは、やっぱ、間違っているでしょうね・・・

看護婦さんが、私が椎間板ヘルニアで整形に通っていたときの婦長さんであったのも、懐かしい再会でした。「その後、どうですか」と聞いてくださり、「こんな状態ですから、とても通院できません」とお話していました。  


Posted by tao  at 02:39Comments(0)実家の父の話

2007年01月21日

母は母

実家の母はグループホームにいます。

脳梗塞をわずらってから、少しずつアルツハイマーが進み、しっかり者と自他共に認める母は随分辛かったと思います。努力家でしたから、幾ら努力してもどうにもならないことの前にはいらだちも相当あったようです。
その頃、私は自分達の暮らしを楽しんで、介護をしなくてはならないという心構えは全くありませんでした。「えっ、なんで???」と言う感じでした。まず猜疑心が強くなったので「触らぬ神に祟りなし」と逃げ腰でした。ただただ、母を楽しませることを考えて、和ませるようにとだけ、心がけていました。

本当はもっともっと構って上げればよかったのでした。都をどりに連れて行こうと切符を買いにいったら、それだけの事をとても喜び「又頼むわ」と言ったのに、忙しくて、たったそれだけの事、近所を一緒に歩いてお茶をするということが、出来ないうちに、母の方は進行して行きました。
被害妄想でよく掛かってきた電話が、「苦しいから来て」という電話に替わってきました。きっかけは、父の入院・手術でした。弟は仕事は外回り、終わるとスポーツクラブという生活で、母は一人ぼっちになってしまったのです。

毎晩父の病室に行き、帰りに実家に寄っていたのですが、父の手術が随分先だとわかってから、やはり、食事を待つ主人のことを思い、母のところには毎晩行かなくなったのですが、ある夜行くと、あの気丈だった母が泣き出して「やっぱりね、寂しいのよ」と行った時、辛かったです。私にも、生活があるし、母の気持ちも判るし。
そして、来るべき時が来ました。父の手術の前夜母のところに寄ると、母は事態が全くわからなくなっていました。幸いずっとではなく、なんとかしっかりしている時もあったのですが、だんだん無くなっていき、姉のところに洗濯機の使い方を聞いてきたりするようになり、自分の家が、自分の生まれた愛媛の実家と思うようになってきました。

夏の夕、父と出かけた母が行方不明になり、激しい夕立の中母はどこでどうしているだろうと胸が張り裂けそうでした。電話がかかり母を救急車に乗せたりも繰り返しました。日赤に入ったとき、母は「蛸壺型心筋症」というものだと判り、心療内科の診察も受けだしたのですが、その後近くの病院に替わっていただくようになった薬が強すぎたのか、母はぼんやりするようになりました。
母が食事をとっていないとデイサービスからケアマネさんに電話してくださり、ケアマネさんがお医者様に連絡を取ってくださって、母は入院しました。環境はいい病院でしたが、母は膀胱炎も併発して歩行にふらつきがあるのにトイレに行こうとするため、車椅子に拘束されている事から、病院のケアマネさんのような方と連絡を取り、母がグループホームに入ったようなことです。

先日母の所に行くと、寒がっていたので私のコートを掛けてあげると
「重いのでは」
といいながら着てみたら
「軽くて暖かい」
と言うので、
「鏡見たら。可愛いわ。よう似合っている」
と言うと早速観に行って、かなり気に入ったようでした。
「お母ちゃん、着たらいいわ」
と言うと、少し考えていたのですが
「あんたが風邪ひくし、来て帰らんと」
「ほな、今度同じの買うて、お母ちゃんに持ってくるわな」
と言うと
あんまり、要らんお金使うもんやないで」
と叱られてしまいました。

認知症とはいえ、しっかりしていると笑えてきました。母はやつぱり、母です。
それに欲しいのに私が帰りに寒いと辛抱するなんて親ですね。

私が親とは有り難いものだと知ったのは、親が弱ってしまってからでした。もっと前にそう感じることが出来ていたらとか、もっと早く介護について自覚が出来ていたら、と、どうしても自分を責めてしまいます。でも、本当にそうしていたらこうはならなかったはずです。  


Posted by tao  at 02:26Comments(0)実家の母の話

2007年01月21日

あの手この手

母は支え無しでは座ることが出来ません。そういう筋力は、一時寝たきりにされた時に退化してしまいました。やっと、サイドに手すりがあるとかいう状態で、手すりにサイドを、背中は背もたれにもたれて支え、なんとか座れます。
その椅子で、以前ブログにも書いた食事用の机を使うようになってから、母は食事が格段にしやすくなったようです。何しろ、母に手を合わされたくらい、喜んでもらったのですから。

机は、部屋が狭いので折りたたみのものを探したのですが、高さは調節がききますから、母にちょうどいい高さに設定できます。それと、体が入る部分がすこしくりぬいてあって、テーブルに近づきやすくしてあります。でも、この机、そう毎日使われていないのではと、最近気がつきました

あるヘルパーさんが週に三回朝入られるのですが、そのときは食事はうどんだけなのです。これは二つの問題があります。つまり、食事内容から来る栄養の問題と、彼女は冷蔵庫からうどんだけ出して使うので、他の食品を全く見ない、だから、古いものもそのままにして、買い物した新しいものを入れるようなのです。
私が母の好きなかに玉と車えびの天ぷらを母のために詰めながら、空しくなりました。次の朝は、例のヘルパーさん。食べさせてくれないのは想定内です。日が込むと、捨てるしかありません。そう判っていても、持って行って「母の好物です。食べさせてあげてください」と書くのは・・・

結果は、うどんに海老の天ぷらを入れたようです。そこで気がつきました。その方が母の所に入りだされた頃、私が偶然母の所にいき、母をベットに腰掛けさせて、口に刻みうどんを入れて食べさせていたのです。
もちろん、抗議しました。母は、自分で食べられると。その人は「私には私なりの考えがある」と言われました。初めて入った時、母が自分が来る事に拒絶があったので、自分はこういうサービスをして気に入ってもらおうと思っているのだと言われました。
その後も、他のヘルパーさんに母が椅子に座って食事をしているところを写真を撮っていただいて、壁に貼ったりしていたので、もう、ちゃんと、椅子に座って食事をさせてくださっていると思い込んでいたのですが、見たわけではないのです

ベットに今も座らせ、物置になっているベット上のテーブルに乗せるのでは、ご飯・味噌汁・おかず種々というわけにはいきません。
一時は、母に食事も取らせず、プリンとかケーキを書いてある日もあって、私が直接、母はディサービスでは好き嫌いが酷いので殆ど食事をされない日もあるし、帰宅後は疲れて食事は摂られないので、朝食が唯一の食事と言うこともありうるし、ディでは一番風呂に入られるのに、空腹ではよくないとか言いました。
そのときの返事は、母が寝起きで何も食べないと言うからと言うことだったので、朝は入室されて直ぐに、窓を開けて空気の入れ替えをし、声がけをしながら連絡ノートの確認をし、ご飯やおかずを温めながら、味噌汁を作るとか、うどんを温めるとかすると、その香りで結構食欲がでるものですとお返事したのですけれど。
ヘルパーさんが来ていただけないときに、私自身がしていますから、このやり方はうまくいくと自信を持っているのですけど、どうも、していただけていないような。

試しに、昨夜食事用のテーブルと椅子を出してセットしておきました。もし、今まで普通に使っていたら、ちゃんと折りたたんで片付けているはずです。結果は黒。テーブルは出したままだったそうです。明日の朝も彼女なので、さっきもテーブルを出してきました。「ここで食事お願いします」と書いた紙を貼り付けておきました。
明日の夜のヘルパーさんも、連絡ノートに一杯食事をされたと書いてあった直後に私が行き、知らずに食べ物を勧めたところ、ガツガツ食べられたという疑惑の人です。テーブルを出しておくのはいいことではないかと思います。

昨日の担当者会議でセンター長さんは、ヘルパーさんの記録を見て、この時間では無理とか判断されているようで、もっともな事なのですが、ヘルパーさんが本当のことを書かれるとは限らないと言うと喧嘩になるので止めました。
全身清拭をしたと書いてあるのにタオルが洗濯物に無かったとか、お湯の栓に、私が昨夜洗って干した布巾が張り付いたままだったとか

父の方でも、父は一人でヘルパーさんが来られるまでに着替えを済ませ、簡単に清拭まですませ、もちろん歯磨きも朝食も済ませて洗物まで済ませているのですが、ある方の書かれたサービス内容を見ると「口腔ケア10分」「更衣介助10分」「食事介助20分」とか書いてあります。それと掃除で身体60分だそうです。
もちろん、センター長に文句を言ったのですが、ケアマネさんも調べてみますと言ったまま。まあ、こんなこと言うから、昨日連係プレーでバッシングを受けたのだと思います
時間にはみ出してケアが行われていると、「まあ、気の毒に、はみ出しているのに30分の請求ですか」と私のせいのように二人で騒がれていましたけど、やっても居ない事を書いて、身体で請求されているのを放置されているのは、いいのかと言いたくもなります。

でも、昨日の担当者会議は新しく出された介護度を受けてのものなのに、ケアマネさんが母がどの程度の運動能力があるか把握されていないのには、ビックリしました。室内での歩行やベットに横になることについて、全介助にしますかとお尋ねしたら、センター長に任せられたのにはゲッソリしました。
それって、ケアマネさんが、さっきまでの話から決められるんじゃないんですか。

センター長は、父の事で私がはじめに余りクレームを電話したので、去年の秋から全く私とは接触されていないのです。電話を掛けても絶対でられない、どうしてもの連絡は他の人に依頼、新入社員さんが去年の秋の担当者会議は出てこられたくらいです。連絡事項はろくにヘルパーさんに届かないという状況です。
やっぱ、他の事業所???  


Posted by tao  at 01:44Comments(0)母の話