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Posted by 京つう運営事務局  at 

2007年04月19日

かやの外

今日は外出で、父の好きなおかずを買ってくださるようにお願いしていました。
ところが、父は引き出しが欲しいと言い、うろうろして、おかずは要らないと買わなかったそうなのです。

外出介護の方からそう聞いて、
「先週、話して、ヘルパーさんが代行で買われた物が気に入らず、傷んで捨てると怒るので、これからは、外出で父の好きなおかずを買ってくださるというお話になっていたのと違うんですかface09

でも、父の意に逆らってこうしようと言うのはとても出来ないと言われ、結局父の今晩と明朝のおかずは無し。
こちらで、なんとか用意しました。

ブツブツ思っていて、ふと気がついたのは、父にこの話をまったく通していなかった事です。
父は早く寝てしまうし、話す機会が本当にありません。
でも、認知が酷いわけではないのに、その話をまったくしなかった、私が一番悪かったと気がつきました。  


Posted by tao  at 17:08Comments(0)実家の父の話

2007年04月19日

父のライバル

今日は「助け合いの会」の方が来てくださる日です。
外出介助をお願いしたら、来てくださったのですが、ご本人は「お話し相手」と聞いて来られたとかICON45
七十台半ばは過ぎてられそう。

食事の時一人だと食事がすすまないので、一緒に居て話し相手をしていただければと話したのが、こういう形になったようです。
ただし、どう聞かれたのか、食事時になると慌てて帰られます。
まあ、父のところに来るのを、ケアとしてではなく、常識的な訪問として捉えられているようでicon10

そういうわけで、外出は、まあ、できればいいと言うことにしました。
父は軍隊のお話を聞いて貰える相手として、嬉しいようなので
あちらさんには、お気の毒な事なんですけどね。

回を重ねると、自信が出てこられたのか、父が外出をしたほうがいいと考えてくださるようになり、手押し車で歩くのを付いて下さる様になりました。
父は、年齢のそうかわらない(???)男性に負けてたまるかと言う気持ちになるのか、甘えず頑張って歩くようです。
男性が老眼鏡無しで読めない文字が読めると得意そうです。

人間って、甘える相手も必要かもしれないけど、こうやつて、奮起させるライバルも必要なんですね。  


Posted by tao  at 15:10Comments(0)実家の父の話

2007年04月15日

NGワード

父の所から汚れた洗濯物を持ってこられたヘルパーさんが、しょんぼりされています。

あのぅ

聞いてみると、ヘルパーさんが冷蔵庫に古い日付のきんぴらを発見、ラップを剥がしてみると、ツーンとすっぱい臭いがしたそうです。
これ、古くなっているので食べないほうがいいですね。
捨てさせていただいていいですか
?」
とヘルパーさんが確認されたのは定法どおりだと思います。

それに対して父は、了承はしたものの、不服の様子。
あんたらは勝手に買うてきて、すぐに捨てる。物を粗末にする。」
と言ったとか。

私なら、
食べへん、お父ちゃんが悪い。
もったいないと思うなら、買うてきてもろたもんは、食べたらええのんちゃうか。

と、言うけど、まさか、ヘルパーさんはそうは言えへんですわねぇ。

高齢者の好き嫌いは難しいですね。まして、父の場合は本人も買い物同行は嫌じゃないのですが、ヘルパーさんの時間が足りなくての、買い物代行ですから。
同行で買い物しても、父だけでなく、母も、自分が選んだものを食べないことは珍しくありません
責任追及しても仕方ないですしね。

買ったものを100%食べてくれるべきと言うと、ヘルパーさんは怖くて買い物できなくなると思います。
ロスが出るのは、必要悪では。
そこで、ロス回避を兼ねて考えました。

捨てるといわずに、私のところに持っていくと、話してはどうでしょうか?
高齢者は、カビが生えたものでもなかなか捨てないものです。
物を大切にするのは美徳ですけど、傷んだものを食べるのは危険ですし、もったいないという気持ちを尊重してやって、捨てると言わない。
つまり、捨てるはNGワードなんですよ
。」  


Posted by tao  at 00:57Comments(0)実家の父の話

2007年04月13日

知らない父の顔

デイサービスから父の写真を戴きました。
いろいろなイベントをしてくださるので、その折の写真です。

早速、拝見しました。
スイカ割り、餅つき、和菓子作り、鍋パーティ、等々

でも、気がついたのは、父が私の知らない顔をしていました
ディサービスは父にとって一般社会。
子供に向けるうちとけた表情ではなく、しっかりした顔でした


ホッとしたり、寂しかったり。  


Posted by tao  at 00:27Comments(0)実家の父の話

2007年03月29日

転倒の原因か

昨夜父のところに行くと、寝てはいたのですが、ベッドに対して横に寝ていたのです。
つまり、ベット横の床に足をつけて、壁に頭を向けて、寝ていました。

起こして、きちんとベットに横にならないと、腰が痛くなり、冷えるからと言ったのですが、なかなかそうしません。
しかも、お布団をかけずに、ひざ掛けを足元に巻き付けているのです。

この状態で、寝ぼけてトイレに行こうとして起きたら、転倒しますね。

ひざ掛けを隠して、父が本来好きだった重い木綿の布団も片付け、軽い布団だけにしてみてはと、ヘルパーさんに言いました。
昨日私がうるさく言って、ちゃんとベットでお布団を来て寝たせいか、今日は腰痛の訴えなかったようです。

うまくいくと、いいんですが。  


Posted by tao  at 00:10Comments(0)実家の父の話

2007年03月25日

ビックリしたニャ

父は猫が大好きです。
犬も嫌いではないのですが、猫の方が可愛いのです。

このあいだ、父が寝ている間に、こっそり、猫の置物を置いてきました。
千円均一で買ってきた、兎の毛で出来ている、猫そっくりのもので、音に反応して鳴くのです。

父が目を覚ますと、猫が寝ているので、いつの間に野良猫が入ってきたのだろうと思ったそうです。
近寄ると鳴くので触ってみるまでは判らなかったとかface08icon10

落ち着いてからは名前をつけて撫でてやっているそうですが、ヘルパーさんに私のことを
あいつは、昔から、よう、こんなこと、しよる」と笑っていたそうです。  


Posted by tao  at 16:47Comments(0)実家の父の話

2007年03月21日

父の歩行練習開始

先週の火曜日に、ようやく父に「理学療法士」の方の査定をしていただけました。

父でも母でも、どこがどう悪いという事はないのですが、自分が病気だから歩けないという感覚があります。
私にしても、これをさせることは無理なのだろうか、させたほうがいいのだろうかと判断に困る事はしょっちゅうです。

元気でいても、看護婦さんの訪問や、リハビリは必要だと思います。
体調管理を個別にしていただけて、デイサービスの看護婦さんと連絡・連携していただけます。
歩行等についても、これから指示を出していただければ、ディサービスでの行動も、より効果的になるでしょう。

本当は、父は不安定ながら歩行をしているので、こちらに来た時からリハビリは希望していたのです。
でも、ケアマネさんが「高くつきますよ」「たいへんなことになります」と言われ「どのくらいですか」にも黙殺で、ここまで来てしまいました。

交代されて間が無かったのでよく判らなかったケアマネさんの傾向がこの頃わかってきて、これは、言いなりになっていないで、リハビリを受けさせるべきだと考え、こうなったわけです。

父はリハビリの方を喜んで受け入れたようです。
今日から歩行練習が始まり、マンションの廊下を歩行器で歩いたのですが、自分でも練習したいと言ったほど、歩行への意欲は高いようでした。

これを周りがサポートしてあげるのが本道だと思いますが、私が仕事で人手が無いため出席できなかった担当者会議では、どう言う議論がなされたのか、どの方向からも情報が入ってきません。
あのケアマネさんでは、査定をされたばかりの理学療法士の方の出席も求めてられなかったくらいで、形骸化された会議、自分の方向確認くらいしかされていないと思いますので、わざわざ問い合わせる必要も無いだろうと思っています。

会議はどうあれ、こちらは父の歩きたいという希望にそって、ケアを考え直させていただきます。
寝込まないで、病気でなく生きていれば十分と言うケアマネさんにお任せしていては、父の心が病んで、認知へと向かうと思います。
  


Posted by tao  at 09:54Comments(0)実家の父の話

2007年03月19日

夜のお仕事?

今父のところから帰ってきました。

その前は洗濯物を畳んで母のところに行き、エアコンフィルターと加湿器のフィルターの掃除と、デイサービスの荷造り、連絡ノートの記入(ディサービスのと、ホームヘルパーさんあて)オムツなどの備品の在庫確認などをしてきました。

それから、父の洗濯物を畳んで、父のところに行き、明日の朝父が服用するお薬のセットです。朝父が着る下着や服はちゃんとそろえてありましたが、そうでない時は、そろえておかないと、まだ自分ひとりで全て出して着る事は出来ないので、下着だけで寒い寒いと言っていたりします。
引き出しから必要なものを出すトレーニング中です。

一戸建ての家で、壁を隔ててですが、家族も寝ているという状態から、86で引っ越したのは、父にとって、大変だった事だと思います。
部屋の配置や段差などにはついては、こちらの不安をよそにトラブルというトラブルは無かったのですが、壁を隔てて知らない人が住んでいることに対しては、長らく不安だったようです。

知らない人が立っていたという妄想を鎮めるのは、私が父の寝ている時に寝室に入らないことでした。傑作だったのは、ディサービスに鍵を持って行くときかないのですが、理由が、部屋に泥棒が入って鍵を盗んでは大変だからICON44

今は、たいぶ慣れたようです。
昨日父は教会に、お世話になっていた牧師様の送別会に行ったのです。
私はお寺の彼岸法要があり、同じ教会の友達に、帰宅までの世話を甘えたのですが、父はマンションにつくなりしっかりし、杖も手引きもなしで歩けたそうです。

この頃新聞をとりに鍵を持って下まで行くようです。
今も気持ちよさそうによく眠っていました。
母が、私が来るのを待ちながら眠ってしまうことが多いのですが、なんとなく「来たな」と微笑んでいたりします。
父もそうなっていってくれるのですかね。

さて、これから、父の排便記録や、母の排便連絡メモなど、刷り物があります。
ヘルパーさんが、みんなやってくれていいですねと言われると、人にはそうとしか見えないのかなと思います。
ヘルパーさんは、介護の家族の手の届かない事をしてくださる方と思っています。
あくまで、家族も介護する姿勢です。  


Posted by tao  at 23:40Comments(0)実家の父の話

2007年03月12日

急がば回れ

父の外出介助をしてくださるボランティアのぬNさんが、今朝、父の介助に不安があると断ってこられました

先週御所に梅見に連れて行ってくださったのですが、ヘルパーさんのアドバイスで車椅子でなく、手押し車で行かれたので、久しぶりの距離のある歩行で、父はふらつきがでました
父はとても喜んでいたのですが、介助される側は、責任と不安から、今後引き受ける事に不安があると感じてしまわれました。

父もショックでしたでしょうが、私も欝みたいになってしまい、なにをする気力も起こらず、じっと座り込んでいました。
主人が気分転換に連れ出してくれ、弟とあって話をし、ようやく今すこし、気持ちを立て直したところです。

元々Nさんは、いきなり外出ではなく、何回も逢って、父について知り、歩行などについても把握してから外出したいと言われていたのですが、父が教会や母のところに行きたくて仕方なく、初回から外出となったのが、今にして思えば間違いだったのだと思います。

初回は、主人が用事で不在だった事もあり、私が同行して、父の介助について把握していただけるように配慮したつもりでしたが、二回目が、全く違う長時間歩行介助となってしまったため、水の泡となってしまいました。

ヘルパーさんが、自分達でも大変だろう事を、ただ、運動不足だから歩いたほうがいいと、御所に行く事を知っていながら言われなければ、と今日何度考えたかわかりません。
教会で十数歩歩くのと、御所で500m歩くのと、危険度も、父の疲れも全く違うことを思えば、あれほど父が喜んだ御所散歩でしたが、残念でした。

今、気を取り直して考えているのは、あわてて、他の方を探す事より、今週の火曜日に理学療法士の方の査定を受けるので、その結果を受け、リハビリを始める事が先決だと気がつきました。
地道に筋力を回復してから、外出介助の方を探そうと思います。

急がば回れ、ですね。
  


Posted by tao  at 00:40Comments(0)実家の父の話

2007年03月07日

やっぱり難しい

父のケアの中で、部分的にヘルパーさん以外の方を取り入れようと悪戦苦闘中ですが、どうも上手く行きません。

本当に介護の事をよく理解されて、そういう事業をされているとは限らないみたいです。
まして、現場の方は、ヘルパーさんのように教育を受けられる義務があるわけでは無し、又、先に懲りているように、ヘルパー資格を取っていられても、実務で経験をつまれ、事業所のチェックを受けられていない方は、ビックリするような方がいらっしゃるみたいです。

料金が高いからと言って、ヘルパーさん並には実際できないのか、されないのか、もありますし、安いからと言って、必ずしも配慮が無いわけではないし、シルバーの方みたいによくしてくださる方もあります。

でも、仕事の遅いヘルパーさんよりも仕事はいろいろは出来ない、だから安いのかもと思えることもありそうで、かなり、ためらっています。
かなり、仕事はモノラルな気がします。

でも、「午には乗ってみよ、人には添うてみよ」と言いますから、もう少し様子を見るしかないかなと思います。  


Posted by tao  at 23:32Comments(0)実家の父の話

2007年03月04日

父のケアプラン見直し

去年の八月父を町内のワンルームマンションに引き取り、ヘルパーさんについていていただいていましたが、介護の限度支給額を大きくオーバーしているので、父がある程度回復した事もあり、見直しをすることにしました。

本来なら、これは、ケアマネさんがしてくださることなのは、私も判っています。
でも、母の担当者会議等を経て、今私がこのケアマネさんに抱いている印象は、申し訳ないけど、お任せできないと言う事です。

ひとつは、基本的なお考えで、今うちの母は、四人目のケアマネさんで父と同じこの方なのですが、三人目の方は「よくなるには、どうすれば」というお考えでした。
これを積極的介護とするならば、今の方は消極的介護対処療法もされない気がします。

皆高齢者は悪くなっていくのが当たり前、なってないのなら、コレで十分

と言われました。
それに、、ヘルパーさんの不足を理由に適切な時に入っていただけず、必然的に必要なケアを行えていないこともあります

父を当初から、低血圧以外は問題がなく、ただ実家で椅子に座ったままじっとしていて、話し相手も居ないままだったので、会話は成立しないほど、人のいう事が聞き取れず、父自身もろれつが回らず、又運動能力も衰えているので、ディケァなり、訪問リハビリを受けさせたいとお願いしていたにもかかわらず、「高くつきますよ」の一言で却下されていたのです。

もちろん、そのまま引き下がるわけには行かず、「幾らくらい掛かるのか仮プランを立てるかして、教えてください」と言ったのですが、黙殺と言うか、放置でここまで来ました。

そうしてこちらの経済を配慮してくださっているのかと思えば、「他の時間帯はヘルパーが詰まっていて手配できないので」と、夕方父の食事前に来ていただきたいのに、父の寝る前にヘルパーさんが来られ、父は自分で着替えも歯磨きもするのに、身体介助で入られるのですが、これが夜間割り増し手当てをとられるという説明は、もちろん全くありませんでした。

私には、不満に思っても抵抗する手立てがありませんでした。
でも、昨冬からシルバー人材の方が来られ、先週からボランティアの方も来てくださり、このままケアマネさんの言いなりになっている必要は無いと思えるようになって来ました。

ケアマネさんが、三月のプランを持ってこられ、担当者会議は止めましょうかと仰られたので、その前に、父がこれからどうなりたいのか、どうしたいのか、父の考え希望を聞いていただけませんかとお願いしました。

結果をFAXで送ってこられたのを見て、呆れました。
父がシルバーの方の悪口ばかり言っているように書いてあります。
でも、そんな事聞いた事もありません。
結局ケアマネさんが、我田引水で、そのように聞き出されたのだと思います。

この会社のヘルパーさんには満足していると父も母も言っていると書いてありますけど、二人とも、当のヘルパーさんを前にして、不平不満を言い立てるほど、認知が入っているわけではありません。母なんて、自力で起き上がりも出来ないのですから、ひどい人が居ても、その方の「あたん(=リベンジ)」が怖くていえないと思います。
第一、二人とも、ケアマネさんのことを、よく知らないオバサンとしか思えないでしょうから、いきなり来られて本音を言うはずがない
そんな事も判られなくて、よく平気でface08

シルバーの方を外してその会社のヘルパーさんを入れたいのが本音かしらと思ってしまいましたけど、肝心の父の「歩行したい」とかの希望を全く聞いておられないのは、ケアマネさんとして成り立つのでしょうか。
興味も持っておられないのでしょうか


そんなわけで、只今自力で奮闘中です。
父にとって、よりよい生活にむかえたらと願っているばかりです。  


Posted by tao  at 11:39Comments(0)実家の父の話

2007年02月27日

再び教会へ

教会の中では、オルガンの演奏が流れ、美しい歌声が響いています。
「父、御子、御霊の大御神よ」
父が立ち上がり唄いだしました。
背筋を伸ばし、瞳は輝いています。


隣で礼拝に参加していらっしゃるのは、ボランティアのNさんです
父を介助してくださりながら、礼拝についても、敬虔な姿勢で参加されています。

私はボランティアの方にお逢いしたのは初めてです。
Nさんは、父に会って、父の行きたいところなどをたずねてくださり、まずは教会ということで、今回の事となりました。

当日は、タクシーで向かったのですが、その中でNさんとタクシーの運転手さんの会話の中に突然父が入り、ちゃんと会話になっていたのにビックリしました。
次世代市電のことだったのですが、さすが新聞を読み出したのでちゃんと知っていて、渋滞の元にならないかと言い出したのです。

父は法事で従兄弟と隣り合わせても会話が出来なかったのに、こんなに人の話が聞き取れるようになっていたのでした
これはNさんの事が父は好きなので、何を話されているのか興味をもつたのだと思います。

これから、父はどんどん元気になっていってくれる、と思える春の始まりです。  


Posted by tao  at 23:54Comments(0)実家の父の話

2007年02月25日

春近し?

父は一週間に三回ディサービスに行くようになって三ヶ月余りです。
もともと週一回で始めて半年後二回に、さらに半年後三回と言うと、いかにも計画的なようですが、実は全くそうではありません。
ただ、いかにも人懐こいので一人で家にじっとしているのは可哀想ということです。

でも、友達が出来ないそうです、これだけ行っても。

男性の数は圧倒的に少なく、皆口を利かないらしいです。
認知症が入っている方も少なくなくないので余計だそうです。

では、女性の方と友達になればいいと言うのですが

「そんな、みっともない真似できるかいな。笑われるわ」

この頃ディサービスにお洒落して行くんですよ。

元々が元々で、実家に居るときは、ロクに洗濯していない服と下着で、ディサービスも週一回の利用ですが、血圧が低くて入浴が出来ないときも少なくなかったと思うと、臭ったかもしれません。

そういえば、この頃は臭いませんね。

着るものも、来たころパジャマを着せようとすると

「ほう、上と下がお揃いか」
「こんな綺麗なん、着てもええのンか」

と言われてICON46

確かに持ってきたものはロクに洗濯できていなくて、一から衣服は買い揃えました。
そのためユニクロか出町の安いお店まで自転車で走り、簡単な服しかなかったのですが、その中で父は結構お洒落できちんとした服装をしだしました。
今はお気に入りの服があったりしています。

できるだけ父の希望通りに洒落た格好で過ごさせてあげるのが、私が父に出来るサポートかなと思います。

早くいいお友達が出来るといいなと待っています。

  


Posted by tao  at 00:19Comments(0)実家の父の話

2007年02月18日

父、再び外出へ

父のイボ手術は無事終わりました
二回の消毒通院を経て、一週間後検査結果をお聞きし、抜糸を済ませました。

結果は、悪性だけれど、周囲から大きく切除したので、大丈夫だと思う、
ただし、定期的に観察の必要はあるということでした

父にとっては、私との外出は「すまんなぁ」と言いながらも、とても楽しみだったようです。
抜糸が終わっても「今日は病院行かんでええのか」と毎晩電話をしてきましたicon10

夜仕事の後で病院に連れて行くのは、結果的に五回だけだったのですが、昼間の手術で抜けることもきつかったですし、仕事が終わるのが遅くなり、皆が仕事をしている最中に、事情を話して早退するのも、きつかったです。

病院から父を連れて帰って、父も「早く帰ってご飯をしてあげて」と言ってくれるのですが、帰宅すると九時半。それから支度をして終わると十一時は回り、それから洗濯物の山を畳みだし、というのは、大変でした。

でも、父と色々な話ができました。

父は、やはり、外出したい、でも、前にお世話になった方にお願いするしかないのかなぁと、迷っていました。
結局十回くらいの外出で、去年で終わっており、今年になってから、一回も外出できていないのです

教会は父にとって唯一と言ってよい位、公的な場所です
以前は父は背広を着て通っていました。
洗濯の出来ていないシャツ、時に来たまま台所の椅子で寝ていた背広ですが、父としては、目一杯きちんとした格好で行きたかったのだと思います。

ですから、毎月の献金が滞っているのが、幾ら説明しても気になって仕方がない。
それは、それだけ父がまだしっかりしているという事でもあり、この願いはかなえてあげなければならないと思います。

ただ、父も前回で傷ついたのですが、私もダメージが残りました。

前回父をグループホームに連れて行ってくださる時、たまたま通り合わせたのですが、道の真ん中でタクシーを止められ、車は渋滞してクラクション。
父は、母に渡すクリスマスプレゼントの袋と自分のかばんを全て持ったまま、タクシーに乗ろうとして悪戦苦闘し、ヘルパー資格を持った介助の方は、離れたところで静観しておられました。
冷たいものを感じました。

ところが、グループホームに着くと甲斐甲斐しく介助されているそうでした。
人と一緒のときなら、きちんとした言葉遣いで話されて、ちゃんとした方のようなのに、父と二人だと変わられるのなら、どうしたら安心できるのか判りません
私の風邪が長引いて、次は父のイボ騒ぎで、考えなくてはと思いながら、気力が出ませんでした。

私にとっては、駆け込み寺みたいに、困ったとき電話して相談にのってくださる、ありがたい方がいらっしゃいます。
本当にご迷惑な事なのですが、父のことも相談させていただき、その方からボランティアの方で、関心を持ってくださる方がいらっしゃると聞き、お話が進んでいきました。

去年ボランティアの団体の方からの「どうしてボランティアでなくてはいけないのか」と言う質問に答えることができなくて、お願いできなかった私ですが、お逢いすると、とてもきちんとした方で、かつ温かいものを感じました。
ボランティアの方とのお付き合いは初めてで、どう考えたらいいのか判らないのですが「やりましょう」と言うお言葉は、ひたすら嬉しく、甘えさせていただいていいのかなと思います
  


Posted by tao  at 00:33Comments(0)実家の父の話

2007年02月09日

古き良き時代の・・・

こうして、父と近づき、かつ離れて暮らしていると、父についての再発見が出てきます。

父は、頭がはげている事もあって、外出には帽子は欠かせません。
引越しの荷物には、帽子がたくさんありました。
病院の診察室に入るときも、父は帽子をきちんと被り直そうとするのです。


うちの店の前を通るとき、父は帽子を軽く上げて会釈をします。
一人ひとりに、顔を確認して、いちいちするのです。
二つ折れの体で、手押し車に支えられて、するのですから、結構大変かと思うのですが、父にとっては、これは欠かせぬマナーなのでしょう。

そんな父が、自分は好きであると感じます。  


Posted by tao  at 00:37Comments(0)実家の父の話

2007年01月31日

みんな読んでる 京都新聞

いぼの手術の関係で父と過ごす時間が多くなったので、こんな事を聞きました。

「新聞を読みたい」
読んでるやン。

うちは、京都新聞と読売新聞をとっています。主人は京都新聞がいいので、読売のほうを父に渡そうとしたのですが、父が京都新聞でなくては嫌だと言うので、朝ヘルパーさんに言付けて、夕方返してもらっていました。ただ、よく忘れるのですよね。
それでは、読み返したいときにないし、切り抜きも出来ないし、と言うのです。父はテレビを見ないので、ノロフィルすのことも知りませんでした。これではいけない
確かにもったいないけど、それでは、父用に京都新聞をとりましょうか、という話になりました。

電話を掛けるとさっそくその日の夕方から入れてくださることになり、父に夕刊を持つていくと、翌朝から自分でマンションの一階まで下りて取りに行っているのです。
こころなしか、しっかりしてきたし、昼間することが無くて寝る時間に読むので、夜寝れているみたいで、新聞効果は凄いもんだと思いました。
慣れた新聞って大事なんですね。そして、新聞を読みたがっている父って、まだまだ大丈夫だって、皆言ってくれます。本当かも。  


Posted by tao  at 23:39Comments(0)実家の父の話

2007年01月24日

悪性腫瘍の可能性

久しぶりに父のイボを見ました。今夜父を連れて執刀医の診察を受けたのです。
去年見たときから格段に大きく盛り上がっていて、黒い焦げたようなものでした。
看護婦さんが騒がれるわけが判りました。普通のイボではありません

執刀医は、イボ周辺まで大きめに取り、組織検査を行うけれど、その結果次第で再手術を行う可能性を示唆されました。イボが悪性のものであっても、しっかり取りさえすれば転移の可能性は無いに等しいという事でしたが、かなり怪しくなってきた気がします

うろたえている自分を感じます
。  


Posted by tao  at 23:19Comments(0)実家の父の話

2007年01月21日

イケメンの外科医

父のイボとりという、極めて地味な事で、診察室のドアを開けたら、ビックリしてしまいました。花のような男性が白衣を着て座っていて
「ここは、形成外科ですが、いいですか?」
と訊ねられました。
「はい、先生に診ていただくようにと、皮膚科の先生がおっしゃつていました」
と返事はしたのですが、つい、まじまじと見てしまいました。

女性ですが、有森也美に一番似ているように思えます。
色が白くて丸顔で、目がお星様がキラキラみたいな大きくて黒い目なのです。
とにかく、あたりがソフト。外見も、応対も。
あまーい感じです。
こんな人がいらっしゃるのだと驚きました。

ただ、先生は人気があるのか手術が三月まで詰まっていて、違う先生に執刀していただく事になり、手術前に再度来院しなくてはならないことになりました。
それも面倒だし、イケメン先生とも二度とお逢いする事も無いでしょうから残念です。
こんどの先生に、すこーし期待するのは、やっぱ、間違っているでしょうね・・・

看護婦さんが、私が椎間板ヘルニアで整形に通っていたときの婦長さんであったのも、懐かしい再会でした。「その後、どうですか」と聞いてくださり、「こんな状態ですから、とても通院できません」とお話していました。  


Posted by tao  at 02:39Comments(0)実家の父の話

2007年01月17日

道が開けて

父のイボ治療に道が開けました。主人とも相談してもう一軒皮膚科に行ってみようという話しになっていたところに、訪問看護婦さんが近所のクリニックが昼から皮膚科があると言ってくださり、ちょうどうまいこと、シルバーの方が外出介助に来てくださる時間帯なので、お願いしたのです。結果は自分で行ってお聞きしました。

そちらの先生は、イボは悪性かどうかは結局組織検査をしないとわからないけど、どちらにせよ根っこのあるイボで大きくなるので、取ってしまった方がいいのではと言われました
昼はどうにもならないと泣きつき、夜診のある系列のクリニックを紹介して頂きました。手術は昼間かもしれないのですけど、とにかく、一歩前進です。一晩寝たこともあり、気持ちが立ち直りました。

私のような人間には、夜診療を受ける事のできる病院のリストは欲しいものの一つです。本当に。  


Posted by tao  at 00:54Comments(0)実家の父の話

2007年01月14日

父のひとり外食

ヘルパーさんが血相を変えて言われるのには昨夜父は一人で手押し車を使い外出し、マンションの真向かいの定食屋さんに行って、一人で定食を食べてきたというのです。電話して確かめると、父はしっかりした声で出て、昨夜の昨日の行動もしっかり覚えていました。

デイサービスの迎えの車を待っていると、定食屋さんのメニューが目に付くのでかねてより行ってみようと考えていた
昨夜はたいして食べたいおかずがなかったので、行ってみる気になった。
薄暗い通路を通って店内に入ると、空いていたが、間もなくドンドンお客さんが押しかけ、まあ、こうでなくては店もやっていけまいと納得した事。
食事の内容については、まあ納得できるものだったので、又行くつもりであること
店の奥さんが「どこから来やはりました」と言うので向かいのマンションと言うと、すぐに私の父だろうと言われたこと、主人についてもよく知ってられたことなども、話していました。

こんなに、しつかりとした父の話は久しぶりです。自分の意思どおりに行動できることが、父をこんなに変えるのだとしみじみ嬉しくなりました。
ケアマネさんとかのお立場では、絶対外出OKとはされないと思うけど、この間からの外出介助のいろいろなことからも、私自身は内心父が一人で近場なら出かけることは可能だし、そうさせてあげたほうが絶対父の精神衛生上いいと思うんです
こんなふうに閉じ込められて、ヘルパーさんに追い立てられるように買い物に連れ出されたり、介助の人に恩着せがましく(父にはそう感じる)偉そうに連れ出されるのも父は御免なのだと思います。そういう父の意思も尊重するべきだと思います。ふらついて倒れるのは心配だけど、今は手押し車を使えば大丈夫と父の言うのは、まあ、そうかなと思うんです。ディサービスでは杖で動いているのですし、父なりの用心はしているのだと。

子供と違って、転倒のリスクは余りに大きく、居宅生活に終止符を打つ危険性も含んでいるとは判っていますが、父が気をつけて近場で行動しているのまで禁止するのは、父に幼児か乳児のようになれと言っているのかもしれません。
見違えるようにしっかりして、財布にお金はあるのか訊ねると即座に金額まで言え、私の体調まで気遣う父に、自分の意思どおりに行動できる事がこんなに父を大人にするのかとビックリし、又行くといいねと言いました。  


Posted by tao  at 00:54Comments(0)実家の父の話